触れていいのに

「これ、良かったら受け取ってくれないか。気に入らなければ使わなくても構わない」
そんな妙にひかえめな言葉と共に手渡された小さな箱を開けると、中に入っていたのは小さな香水のボトルだった。なんでもない日の贈り物、それが珍しいわけではないけれど、……ブチャラティさんは形に残るものをプレゼントするのをあまり好まないと思っていたから、少しだけ意外に感じて——いや、香水も十分に『残らない』か、そんなことを思う。

箱の中から取り出したシンプルで丸みを帯びたボトルを手に取って、つけてみてもいいかと聞いてみる。彼はゆっくりとうなずいて言った。
「ああ。……好みの香りではなかったら、手元に置いてくれるだけでかまわないから」
わざわざ念を押すみたいにそこまで言う必要なんてないのに、そう思いながらも、彼の真剣な目に背中を押されるようにそっとボトルの蓋を開けて、手首に軽く吹いてみる。ふわりと漂うのは花の香りだ、まるで花束の中に顔をうずめたらこんな香りがしそうな、甘い中に、どこか緑の青さとさわやかさも混じったような、フレーバーティの茶葉の缶を開けた瞬間を思わせるような、両方のイメージが浮かぶ柔らかな芳香を感じて、思わず浮かんだ笑顔のまま言った。
「凄くいい香り! お花屋さんみたいで……。ありがとう。大事に使わせてもらいますね」
「きみによく似合うとは思っていたんだが、……苦手な香りじゃなくてよかった」
どこかほっとしたように言うブチャラティさんを見て、そんなに心配しなくてもいいのに、なんて思いながらまた少し笑い返す。あなたから渡されるもののすべて、目に見えるものも見えないものも、その一つ一つがどれだけ嬉しいのか、どんな言葉でもうまく言い表せないくらいなのに。

そして彼から香水をもらったことは想像していたよりずっと自分にとって特別に嬉しいもので、これまで香水をつける習慣なんてなかったのに、わたしは普段からその香りを身にまとうようになった。つけている時にはブチャラティさんも必ず気づいてくれて「今日もつけているのか」と嬉しそうな顔をしてくれるのがなんだかこそばゆかった。

そんなある日、わたしはひと月ぶりにブチャラティさんの部屋を訪れていた。
彼はもちろん暇な時間が十分にある人ではないし、いつもは彼の都合に合わせているはずのわたしも珍しく忙しくて、うまく一緒に過ごす時間が取れなかったのだ。

久しぶりといっても慣れた場所のはずだ、物珍しくもないはずなのに、改めてこの部屋にいられることが嬉しくてあたりを見回してしまう。
そうしていると、見慣れた部屋の中でふと目に留まるものがあった。……彼がわたしにプレゼントしてくれた香水のボトル、それとまったく同じものが、ソファーサイドテーブルの上にのっていた。
わたしがここに持ってきたのだろうか、そう一瞬思ってから、そのボトルの中身は自分の部屋に置いてあるものよりも減っていないことに気付く。

「……すまない、待たせたな……」
「お揃いなんですね! プレゼントしてくれた香水……」

キッチンにコーヒーを入れに行ってくれた彼がリビングに戻ってきたのに対して、香水のボトルをそっと手に取って見つめながら声をかける。同じブランドの違う香りかと思ったけれど、そんなことはない、小さく印字された香りの名前も、わたしが彼からもらったものと同じだった。
あの香水は男性が使ってもおかしくないと思う、お菓子みたいな甘さではなく、さわやかにすうっと溶けるような香り。それが彼の肌の上ではどんな香りになっているのだろうと想像すると凄く気になってしまう。あなたがつけたのをかがせて、なんて言うのは変だろうか、そんなことを考えながら顔を上げると、コーヒーカップを掴んだままの彼はわたしが想像したのとは全く違う表情を見せていた。

きゅっと眉が寄っている、険しい表情にも見えるけれど目の奥の瞳はやわらかに揺らいでいて、少し目の下と鼻先に赤みがさしている。一言で言えば……少し、照れているようにも見える顔。わたしは何かよくないことを言っただろうか、一瞬驚いてからひとり動揺していると、彼がささやく。

「……いや、香水として……自分でつけてはいないんだ」
「そ……うなんですね、すみません、早とちりして……」

じゃあなんでここにこのボトルがあるのだろう、わたしの頭に浮かんだその言葉を、彼も何も言わなくても理解しているようで、その場に妙な空気が流れてふたりで黙りこむ。
その沈黙を静かに破ったのは、コーヒーカップをテーブルに置いたブチャラティさんの声だった。

「きみに会えない時に、香りで思い出せないかと思って……」
ぽつり、こぼされたのはまるで迷子の子供みたいな一言だった。あまりにも彼らしくもなく、どこかもつれているような、やけに奥に引っかかったような声で囁く。
「ここのところ、あまり会う時間が取れなかっただろう、だから……せめて香りだけでも、と……。時々ボトルを開けて香りを感じていたんだ、……君の、香りだと思って」
少し言いにくそうに、相変わらず照れた顔のまま彼は言った。

(ああ、)
心臓がきゅうと音を立てるみたいに押しつぶされる。
(……わたし、ブチャラティさんはわたしなんかと会えなくても平気なんだろうって、強い人だからって、そう思っていたのだけど)
わたしからしたら想像もしていなかった言葉が返ってきたせいで、どこか恥ずかしがるように囁いたブチャラティさんを目の前にしたせいで、押しつぶされた心臓は今やうるさく跳ねている。
そんな事していたのを聞かせて、いやな気持ちにさせただろうか、そう彼がぽつりとつぶやくのには勢いよく頭をふって否定して見せる。

「……よければ、あの、わたし……本物の匂い……してる、から?」

わたしの存在を思って、プレゼントしてくれたのと同じ香水を自分のために買ったブチャラティさんがいじらしくて愛おしくて今すぐ抱きしめたくてたまらないのはわたしの方なのに、こちらも照れてしまって妙なことを言いながら彼に向けて両腕を開いて見せた。言い切れない疑問形で囁いたわたしにブチャラティさんは少し、息の音だけで笑って、わたしの腕の中に飛び込んでから抱きしめ返してくれた。
ぎゅうっと彼の腕が身体に回されて、わたしの肩口に頭がそっと押し付けられる。

「やはり……香水の香りとは少し違うな、君は香水より……甘い、気がする」

これこそが君の香りだ、ずっとこうしたかった……そう彼が、わたしの耳元でスンと鼻を軽く鳴らすようにしてささやく。そんなことされただけでさらに胸が苦しくなって、息がしづらい。思わず抱きしめながらすがりつくように彼のジャケットを握り込んでしまう。
ブチャラティさんは、そんなわたしに気付いているのかいないのか、抱きしめてくれたまま耳元で低く囁く。
「……香水を渡すのなんて、独占欲からってよく言うだろう」
「そうなんですか……?」
「…………それを、今、何より……自分で感じている」
より強く抱きしめられながらそんなことを言われてしまえば、静かに愛しい気持ちが増していくのを感じるばかりだった。どうやったらこの思いを返せるかもわからないまま、わたしも強く抱きしめ返して彼の香りを深く吸い込む。

このまま抱きしめて、同じひとつの何かになってしまえたらいいのに。一瞬だけそんなことすら浮かぶくらいには、わたしは彼のかわいい姿に、言葉にめちゃくちゃにされていた。

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jo夢ワンドロワンライさんにお題「香水」で参加作品