水先人

手についた血と土を、タオルで歩きながら拭う。その汚れのほとんどは自分のものではない。乾いてしまったそれはかさかさのタオルで拭いたところでろくに落ちやしなかった。

強くごしごしと自分の手にタオルを押し付け続ける私の目の前に、水のボトルが差し出された。……さすがブチャラティ、用意がいい。ありがたく受け取ってから、ここまで気を張っていたためか、いつのまにか忘れていた激しいのどの渇きを思い出した。水を口に含んでから、タオルを水で濡らして拭う。そうしながらも、二人とも足を止める気はない。早く家にたどり着きたい、それだけだ。

ふと水のお礼を言おうと見上げたブチャラティの顔は、……なかなか、ひどいもんだった。ひどく憔悴しているように見えるし、珍しくクマも見えるけれど――寝不足だったり身体的に疲れたりしてるわけじゃない。今日のが特別ひどい仕事だったってだけだ。

ブチャラティのスタンド能力はギャングの仕事には便利だ。たとえば死体を隠すときなんかは。地面にジッパーを取り付けて現れた空洞に死体を放り込むだけで、文字通り消し去ることがきる。

だけど、今日のはそうじゃなかった。工事現場にわざとわかりやすく見つかるように死体を埋める、見せしめにする、それが今夜の仕事だった。
裏切り者の始末なら死んだやつの自業自得だと思えるし、こっちも納得して仕事ができる。
だが、……そいつの一家丸ごととなると、話は変わってくる。ろくでなしの親を持ったことが最大の不幸だったはずの子供の身体の上に、土をかぶせたりすることになれば。

そうこう考えているうちに、よどみなく進んでいたはずのブチャラティの足が止まる。どうした、そう聞こうとして——ああ、その顔を見て、理由を聞く前に理解する。
少しずつ海の方から明るくなっていくネアポリスの中心街が見えてきた。それを見て彼は足を止めたのだ。

……今のブチャラティは、ずいぶんと剣呑な表情を浮かべていた。疲れだけじゃない、やりきれない感情に翻弄されて苦しみながらも、殺気が隠しきれないような顔。この顔で幹部に報告にでも行ったら何か裏切りとか背信とか考えてないかって言われそうなくらいのひどい顔してる。自分のことを棚にあげて、そんなことを思う。
——そしてそんな〝剣呑な〟顔をしたまま、見知った人々がいるはずの快活な空気が漂う朝の市場を通りたくないのだ、ブチャラティという人は。

あれだけ物腰柔らかに、便利屋かってくらい親身になって街の人間に向き合う姿だけがブチャラティの仕事じゃあないことは、彼に関わるほとんどの人間が知っているはずだ。
だからこそ街の人間も、彼に頼りながらもどこかで彼に対して一線を引いているのだから。……それでも、知られているとわかっていても、ブチャラティはこの顔を見せたくないのだ。

そう思うことを偽善と笑えるやつがこの世にいるだろうか? そんなことできるやつなんているわけない。彼を知っている人間なら皆そうだ。
普段は『割り切っている』『平気だ』みたいな顔をしているくせに、こうして……そうやって言葉通りには簡単に片付けられないのが、ブチャラティの美徳なのだから。

そして私は、彼のこういうところこそが愛おしいのだ。
(……ああ、好きだな……)
足を止めた彼の袖をそっと引いてから私は囁く。
「……こっちから帰る?」
「……ん、ああ……」
ブチャラティは少しぼんやりとした目をして、私に引かれるがままに、市場を避けるように伸びる狭い路地に足を向けた。
私たちは、昇り始めた朝日が差し込まない暗い道をゆく。彼を先導するように、路地に積み上がったゴミ袋を足で押し退けて進む。ブチャラティは黙って、私の後ろをついて歩く。その、普段の彼とは結びつかない乱れた足音を聞きながら思う。

(私、多分……こうして、あなたの杖になりたかったのかもしれない。あなたの心にのしかかるものを払い除ける何かに、ずっとなりたかったのかもしれない)

ささやかなことしか出来ないのはわかっているけれど、少しでも傷が癒える道をゆくための杖に――。こんなことに誇りすら感じながら、私はもう一つゴミ袋を足でよけた。

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jo夢ワンドロワンライさんにお題「朝焼け」で参加作品