泥の中

しでかした裏切りまがいの行為への懲罰として、私の兄が組織に命を奪われる代わりにブチャラティの手によってネアポリスから追い出されたあと、私は恋人だったブチャラティに別れを告げた。

兄への仕打ちに怒ったからじゃない、あれはどう考えたって自業自得だったし、殺されてもおかしくない状況で命を助けてくれたのはブチャラティだった。むしろ理由としては彼へ迷惑をかけた身内を恥じたのと、……私には兄と同じろくでなしの血が流れていて、これからきっと同じように彼に迷惑をかけるだろうということに気づいてしまったからだ。

その兆候はあったのだ、彼が優しく構ってくれるのがいつの間にか自分の中で自然なことになっていて、荒れた心をそのまま彼に見せつけるような厄介な甘え方をして、彼の前で感情を抑えることができなくなっていた。ブチャラティはそれを疎んじるでもなく、甘やかしすぎもしなかった。聞いてほしいなら聞くが、ひとりにしてほしいならそうする、自分の本当の気持ちすらうまく理解できなくなり子供のように混乱した私を前にして、彼は根気強く付き合ってくれたのだ。

だが、こんなのをずっと続けていくのか、彼を試すように、利用するように――そう気づき、自らの醜さにおびえた私は彼と別れることを選んだのだ。

それでもブチャラティは、離れようとはしなかった。恋人じゃなくても友人でいることはできるだろうなんて言われたら、その優しさを私から手放すことができなかったのだ。

私は別れを告げたあの日から、どうしたら相手が傷つくかという究極に非生産的なことばかり考えていた。
やけになって仕事もやめて、酒に溺れて、床に墜落しながら「どうかこんな私をはやく捨ててくれ」と願った。
もしかしたら薬に手を出したら捨ててくれるだろうか、そう思いながらも手を出せないでいた。……それはこわいからだ。彼から本当に見捨てられることが、こわいから。

「もうわたしとあなたの間にかかっていた橋は焼け落ちてる」
「……オレはそうは思っちゃいない」
もう捨てて、あなたの人生を私が食い潰す前に、そう喚いても、彼は寂しそうに微笑みながら首を振るだけだった。

今日だって、引きこもる私を心配して彼は部屋までやってきたのだ。好きだったバールのレモンケーキを携えてやってきてくれた優しさを何より嬉しいと思っているのに、それすら彼の貴重な時間の浪費だと思えてしまって胸が苦しい。今は食べたくない、そうやって突っぱねると彼は静かにうなずいて、荒れた部屋のいくらかをこちらに声をかけてから整えると、ソファに転がったまま動けない私に向かって静かに言った。

「……また来る、飯はちゃんと食えよ」

その言葉と共に、くしゃりと頭を撫でられた。彼はいつだって、優し過ぎてこわいくらいだった。
「……しかりつけたりしないの」
出ていく彼を引き留めるように、そんなかすれた声をかけてしまったのは無意識にだった。口にしてから後悔する、……それでも、ブチャラティは私に優しい笑顔を向けて見せた。
「……そうされることに意味があるヤツにはそうする、叱られた結果に意味があるような相手には」
「……わたしは叱る意味もないってこと」
「違う、……お前を叱りつけたって解決じゃあないからだ。萎縮させるのは求める形じゃあない。……いいか、オレは、意味がある相手にはそうする、ってだけなんだ……こうして君のもとに来るのだって、意味があると思っているから来ているんだ。誰に対してでもない、……線引きをしているんだ。……君が想像してるより、オレはろくなやつじゃあない」
「……」
何も話していないのに、どうして彼は私が考えていることがわかるんだろう。彼と自分の釣り合わなさにおびえていることも、彼と相対して自分の嫌なところまで見えてくることが嫌だと思っていることも。
そんなことを考えていると、私が転がったままのソファの端にブチャラティが静かに腰かけた。
「……友人でいいなんて言ったが、……君との関係が終わったとは思ってない、オレはな」
囁かれたその言葉に、思わず目を見開く。
「まだ、……いや、いつだって君を、」
「やめて!」
こわい、愛おしい、抱き締めて、触れないで、そばにいたい、でも傷つける――。
静かに涙を流す私の横で、オレはいつまでも待てる、君の心が定まるまで、ブチャラティがそうささやくのを聞く。――私は変われるだろうか、泣きながら、私の方に伸ばされた大好きな彼の手にそっと触れる。

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