潜熱

※ブチャラティ夢ですが、このお話は片思いのターン&ミスタとの距離近…というか未遂シーンがあります(not 恋愛感情)
 倫理観が若干ギャングみがあるかもしれないので色々注意

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「泊っていく? うちでよければ」
ブチャラティに向かって初めてにそう言った時、まるではじめて恋をした子供のように、息だって止まりそうだったことをナマエはよく覚えていた。

自分の部屋でブチャラティと一緒に食事をして酒を飲みだらだらと過ごしたただけで、誰かが物語のページをちぎったようにあっという間に時間が過ぎ、深夜を回ったころ。
普段ならぐっと伸びをすると、さっきまでさんざん摂取してきたアルコールなんてあっという間に分解してしまったような様子できびきびと立ち上がるブチャラティのまぶたがその日はずいぶん重そうで、どこか疲れがたまっている様子の彼を見て、ナマエは気づけば思わず「泊まっていくか」なんて言葉を口にしていたのだ。

ブチャラティが意外にもその提案を断らなかったことにも驚いたが、咄嗟に出た自分の言葉のうちどれくらいが純粋な親切で、どれくらいが少しでも自分を特別なところに置いて欲しいという下心か、ナマエ自身もわからなかった。

しかし彼は本当に、ただ文字通り一晩の宿としてナマエの部屋で過ごしただけだった。
彼は決して見知らぬ男の顔を見せることなく、ただナマエがこの世界で一番信頼のおける、ブローノ・ブチャラティという男の姿のままソファで丸くなって一晩を過ごした。そして翌朝には寝起きとは思えないようなしゃんとした姿で、彼と比べればどうみてもくしゃくしゃの様子でひどい寝癖をつけたまま寝室から這い出てきたナマエにエスプレッソを飲ませると、何事もなかったかのような態度で帰って行ったのだ。

ごく普通の、友人同士の姿だっただろう。その範囲からは一歩も出ないような、どこか潔癖ですらある態度だった。

だがブチャラティに並々ならぬ感情を抱いてしまっている彼女が、その夜が何か二人の関係が変化する一歩になることを望むよりも強く、むしろ彼のその変わらない態度に安堵していたことも事実だった。
仲間として隣にいられることが何より嬉しいことで、ブチャラティからしたら自分に対して仲間としての感情以外、何もないことこそが大切なのだ。
彼の恋人には……優しい彼の事だ、もしかしたら泣いて頼めばこの街の誰でもチャンスがあるかもしれないけれど、彼のそばで守る人間には誰もがなれるわけではない。そう自分に言い聞かせる。
彼に導いてもらった恩を直接返せる立場にいる尊さを忘れて過ごす人間にはなりたくなかった。

その後も、ときたまブチャラティは仕事のあとにナマエと一緒に食事をして、ソファで音もたてずに眠り、静かに帰っていった。
特別なことは何もない。たまたま同じものが食べたい、だとか、ゆっくり話したい、だとか。あくまでチームの一人としての付き合いだとブチャラティが思ってくれる範囲で、二人は良く仕事帰りの時間を一緒に過ごし続けたのだ。

部屋に合わないくらい大きいソファだが、買ってよかった。正直自分の部屋にも身体にも余っているが、寝息を立てるブチャラティにはあつらえたようにぴったりだったから。ナマエはブチャラティが自分の部屋で眠る姿を見るたびに、そう思っていた。

何もないことが最上であるなら、それ以上を望まない。
ナマエはいつしかブチャラティへの思いを自らの心の奥底に埋めるようになり、ソファで一晩を過ごすブチャラティの姿も、日常の風景と認識するよう努力していったのだ。

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「あ~~~……ぜってぇ外さっみーじゃん、帰んのめんどーだぜ……」
今自室でくつろぐナマエの目の前にいるのはブチャラティではなく、昨日見たいテレビをみはぐったのだと仕事中に嘆いていたミスタだった。ずいぶんと絶望していた様子のミスタに向かって、偶然同じ番組を録画してるけどとつぶやいたナマエの元へ、彼は仕事終わりにワインを抱えて訪れたのだ。

すでに再生の終わったテレビ画面は夜のニュースをうつしていて、(録画されていたのは去年上映された映画だったが、期待したほどではなかった、というのが共通の結論だった、)ふたりはだらだらとグラスを口につけつつ取り留めのないことをぽつりぽつりと話すだけだった。話を切り上げるタイミングもつかめないまま夜がふけていく。ミスタが嘆いたのはそんな頃だった。
「別に泊っていってもかまわないけど? ソファでよけりゃ一晩貸すよ」
ブチャラティに散々貸したソファだし、……ミスタに向かってそうは言わなかったが、まるで自分のやましい心をあくまで仲間だから貸してきただけと言い聞かせるようだと思った。なんともなしに発せられたような彼女の言葉にミスタは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐに上機嫌で人懐っこい笑顔を浮かべてみせた。
「そーしたら、……泊めてもらっちゃおうかな!」
じゃあもっと飲んだっていいな!そう言ったミスタがさらにワインを開けるのを見て、ナマエもにやりと笑って空いたグラスを差し出す。
明日はふたりとも揃って休みなのだ、少しばかり羽目を外したところで誰に文句を言われることもないだろう。

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「……で、さあ……なあ、泊めてくれるっていうのは……こういうこと、してもイイって思ってかまわねえの?」

隣同士で座っていたはずのソファの上、気づくとナマエは後ろからミスタに抱きかかえられるような姿勢になっていた。お互いに身体を寄せ合うような角度で、ソファの座面に墜落していくようにずるずるとだらしなく崩れ落ちながら体重を寄せていたところまでは覚えがあるが、後ろからのハグみたいになっているのは本当に、いつの間にか、だった。
背中から感じるのはミスタの熱だ、あっちもしこたま飲んだせいだろう、ひどく熱い。彼の身体は発熱する塊の様だった。
耳元で囁くようにかけられた言葉の意味がアルコールでふやけた脳にうまく入ってこないせいで返事ができないでいると、ミスタの手はナマエの手首の辺りを柔らかに撫でたと思えば、その無骨な指は手首の内側をのぼって、そでの中を確実な熱を孕んだ温度でくすぐる。

それだけで思わず身体が震えたナマエにミスタは軽く満足そうな笑みの声を漏らしてから、彼女の首筋に音をたててキスを落としていく。母親が子供にするようなかわいらしいものではあるが、その柔らかな肌の上をすべる濡れた感覚と、アルコールのせいで熱をこもらせた身体は、のどの奥に詰まったため息を漏れさせるには十分だった。
いつのまにかテレビは放送終了の画面になっていて、どこだかわからない謎の花畑が映っている。これ、どこだろう……酔った頭で益体もなくそんなことを考えていると、ミスタの指がナマエの服の裾あたりを遊ぶように触れたと思えば、そっと腹から服をめくりあげながら侵入してくる。……くすぐったい。酒のせいなのかミスタという男の人柄――相手の懐に飛び込んで警戒心を解くのに長けたその性格のせいなのか、なし崩しではじまったこの行為に対して不思議と恐怖はなかった。ただ、ナマエは人の熱の心地よさを久しぶりに思い出していた。
服を手首で持ち上げながら撫でる手は、自分の筋肉のない白い腹の上ではひどく大きく、武骨に見えた。
それに気づいた時、引きつれるような悲しみが胸の辺りに痛みをもたらすのを感じた。……スタンドがあるとはいえ、ブチャラティに選んでもらった仲間としてより役に立てるのはきっと、自分ではない、ミスタの方だ――とりとめもなく浮かんだその言葉が、彼女の心を削る。

ふたりともが確かに酔っていた。だがその引きつれた心の痛みが、そのままベッドにふたりで雪崩こんでもかまわない、ナマエにそう思うことを許さなかった。

ミスタの手はもう腹から上に移動して、下着のふちを遊ぶようになでていた。お互いに酒であがった体温を持て余しながら、触れたところから溶け合うようだった。耳のふちにミスタのくちびるが触れている。吐息が触れる。
この感覚は嫌ではない、ただ――彼から与えられるのは官能と呼ぶにはくすぐったいだけだ、恋人と身体を預けあう『気持ちいい』という感覚とは違っていた。

「んーんんん……やじゃないんだけどね……」
間延びした声でナマエがつぶやくと、白い腹を撫でていたミスタの手がぴたりと止まって、その続きの言葉をじっと待っていた。
「……でも、後悔したくないから、これ以上はだめ」
止まっていたミスタの手が、そっとナマエから離れていく。変わらず彼女を膝の上にはのせたままだが、ミスタはそっと囁いた。
「……後悔、ってのは……お前、好きなやつでもいんのか?」
「……うん。そう」
「そりゃあよおー……いや、オレが悪りぃな、変なこと仕掛けて……泊めてくれんのと、やらしいことすんのは別だよな」
ミスタはそう言うとナマエから身体を離すと、彼がめくりあげてしまった彼女の服の裾を下ろすと、子供相手にするかのようにその下ろした服の上からぽんぽんと腹の上を優しくおさえた。
「いや! でも、ミスタならちゃんとわかってくれるからすきだよ」
ナマエは、ソファの座面に戻りつつ、隣に座るミスタに向かって囁いた。
このまま一晩をそういう意味で共にしても、この二人ならおそらく恋人同士にはならないし、そのまま変わらず仲間としての距離を保っていられるだろう。熱を求めあうときにだけ触れる、そんな便利な関係を選ぶことも出来ただろう――ミスタとナマエ、お互いにその自覚はあった。だが、そうはしないことを選ぶ。
「それになんかこういうのすごい忘れてて……泊まってくってなんかこういう意味も、あるよなーって」
その言葉に、ミスタは一瞬考えこむように眉を寄せてから、努めて明るい声を作りながら問う。
「好きなやつって、オレが知ってるやつ?」
「……うん」
「そいつって、オトコ?」
「うん」
「……ブチャラティ?」
「うー……」
あっという間に答えにたどり着かれて、素直にこたえる事も出来ないまま、しかしゆっくりとナマエはうなずいた。
ある程度あたりはついていたんだろう、ミスタはどこか納得した様子で笑って言った。
「そーかそーか!!ブチャラティか!いやー……お前も大変なとこに惚れちまったなぁ!」
「そう思うよね……」
「まぁ、オレは応援すんぜ! そんで、とりあえず今日は帰るわ」
その言葉に驚いた顔をしたのはナマエの方だった。
「え!こんな遅いんだから……泊まってきなよ、寒いし! 万が一外で寝落ちしたら死ぬかもってくらいだよ?」
「いーや、なんつーか……これからもお前とはちゃんと仲間でいてぇから……今日は帰るわ! お前さえイヤじゃあなけりゃ、また今度遊びに来るからよ!」
ミスタは言いながら伸びをして立ち上がる。すると、ふたりの様子を息をひそめて隠れて見ていたのだろう、ピストルズたちが緩み始めた部屋の空気を感じ取ったのかめいめいに姿を見せ始める。彼らひとりひとりに土産だとハムを持たせたナマエは、ミスタを家まで寝かさないようにとピストルズたちに言い聞かせていた。

「ミスタ〜……あのさ、ありがとね」
玄関に立ったミスタにかけられたその言葉には、いろいろなものが込められていた。
彼女のスタンスを理解してくれたこと、恋をした相手を打ち明けたのをいつも通りの態度で受け止めてくれたこと。ミスタが考える以上の友愛の念が、彼女のその言葉には込められていた。
「おぉ、じゃーな、よく寝ろよ」

ナマエがひらりと手を振って見せたのに、ミスタとピストルズたちが返して玄関のドアが閉まる。自己満足だとはわかっているが、あの心地よい熱に身体を預けてしまう事のなかった自分が、一瞬の熱を浴びてしまったこの首筋を撫でる、ほのかに冷えた寂しさにも似た感覚が、彼女は少しだけ誇らしいとすら思えていた。

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「っおーーい!ナマエ!飯食い行こうぜぇ!」
「いいよ!何食べる?」
「いつもんとこでいいだろ!」

あの夜から、ミスタとナマエ、友人同士としての二人の距離はむしろ確実に近づいていた。チームの中でも、仕事のパートナー等の兼ね合いでなんとなく絡む相手というのは決まっている事が多かったが、今のミスタとナマエはよくふたりでつるんでいた。

ミスタは、自分とナマエの会話を事務所の端の机に向かうブチャラティが耳にしているのを視界の隅にとらえながら、あえてナマエの肩に体重をのせるように自分の腕を乱暴にのせた。肩を組む、というには少々体重がかけられすぎているような状態で、ナマエはあからさまに表情を歪めて文句を言う。
「おい、ミスタ! おっもい!もー…」
その声に悪い悪いと返しながら、ミスタはチラリとブチャラティの方に、顔の向きはそのままで視線だけをやった。

ナマエの思いを打ち明けられてから、ミスタは静かに二人を観察していたのだ。そして今日、その観察で得られた内容を実証すべく仕掛けた接触だった。
……そしてそのあからさまな仕掛けは、想像しているよりブチャラティに効いているようだ、表情自体はほとんど変わらないようにも見えるが、もはや視線は掴んでいたはずの書類には向いておらず空を見つめていて、机にのせられていた方の手のひらがきゅっと握りしめられている。
――それだけ確認できればもう、十分だった。

(……ま、同僚の恋ってのを応援してやるのも、仕事のうち、だろ?)
そんなことを思いつつ、ミスタは背後に感じる視線を無視しながら、ナマエをいつもの店へと引きずっていった。
その店が出すプッタネスカは、他よりもパスタに絡むケッパーが多いのがミスタとナマエの好みにあい、二人で食事をするときは決まってその通りから外れたトラットリアで過ごしていた。
そしてチームの他のメンバーと顔も合わせることが少ないこの店でだけ、ナマエは「ブチャラティへの感情」について口にできるのだ。

「なあ、よぉー。ブチャラティってさあ、すでにオメーのことずいぶん気にかけてるんじゃあねえの?」
パスタをつついていたフォークでナマエを指しながら、ミスタは言った。だが肝心のナマエの方がそれを信じていないかのような眉を上げた表情をわかりやすく作って見せると、自嘲混じりのささやき声で返したのだ。
「……そうかもね。……でもそれが……ブチャラティ、でしょ。私だから気に掛けるんじゃあないんだよ、ブチャラティ、だから……」
「そーいう言い方されっとよお……まあわかるけどよ、」 

手伝ってやるつもりだが、なかなか先は長そうだ――。
ミスタは頬杖をつきながら、お互いを思ってひどく臆病になる同僚と上司の姿を思い浮かべて、どこか不思議な気持ちになっていた。似合いの一対になれるとは思っているのだが。
(……似たもの同士、ってやつなのかねえ)
そう一人ごちながら、あの夜のナマエの表情を思い出す。ブチャラティの名を出した時、ずいぶんと切なげな目をしていた。久しぶりに、人間がだれかに向ける濃い感情に触れたことに、ミスタはどこか感じ入っていた自分に気付く。

もう少し気合を入れて、この仲間たちのキューピットとしての仕事をまっとうしてやるか。そんなことを考えながら、ミスタはフォークですくい上げたプッタネスカを口に放り込みながら、急に黙り込んだ同僚の寂しげな目元をじっと見つめていた。

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