“Passo veloce” – Mista

「……ブチャラティ! ックソ!」

 叫びながら駆けつけたオレの視線の先、地面にぶっ倒れたその姿はすぐに見つかった。白いスーツが闇の中でぼんやりと浮かび上がっている。歯を食いしばりながら、ほとんどつんのめるように勢いよく地面を踏みしめブチャラティの元へと駆け寄った。
「おいブチャラティ、ほんっとに……クソ……死ぬなよ……頼むぜ……クソッ」
 痛みのせいだろう、顔中が脂汗でビショビショになっているその体を抱きおこす。浅い呼吸を繰り返しながらすまない、油断していた、そう呟くブチャラティを黙らせる。曇りかけた瞳で、だが必死に自分の太腿のあたりを片手で掴もうとするその血まみれの手に、自分の手を重ねてそこを押さえつける。当たりどころが悪かったのか、信じられないくらいに血が溢れてくる。……ひどく熱くて、ぬるりと重い。ああ、マジでこれはブチャラティの体の中から漏れでてきやがったものだ、そんな実感を持つ。背中が焦りと恐怖で冷えていく——。
「ガキダッ! ブチャラティヲ撃ッタノハ、ガキダッタッ!」
 No.3が叫ぶのを聞きながら、オレは怒りで自分の芯が冷えていくのを感じていた。
「……ああ、……犯人の姿なら、オレも見てる……」
 囁きながらオレは遠くに目を向けて、小さな背中を睨む。

 自分の懐に必要以上に金をしまいこんで、自分自身のファミリーを作ろうとしている野郎を港で押さえる。それが今夜の仕事だった。そいつのアジトも自宅も女の家も空なのも、パッショーネがアジアのマフィアとのやりとりに使う〝荷物〟が倉庫から運び出されるのも確認した。今日が間違いなく、その密会の日に間違いなかった。
 おそらく相手のアジアンマフィアは、その密輸を担当してる男が半分非公式にやりとりをしているとは思ってもいないだろう。自分のファミリーを持つためにパッショーネのアガリを堂々とかすめ取るとはなかなか大胆なことをする、その点だけは評価してやってもいいくらいだった。
 まあ、そいつ自身の対応次第では数ヶ月は再起不能になるかもしれないが、殺せという指示は出ていなかった。現行犯でその場に踏み込んで、痛い目に合わせる。それが今日の仕事だった。 
 やりとりの場所はざっくり言えばいつも同じ港だったが、タンカーの中、コンテナの中、倉庫の中と、実際相手と顔を付き合わせる場所だけは変えているらしい。そのどれかが今夜の現場のはずだった。ブチャラティとアバッキオ、そしてオレは候補の地をしらみつぶしにするべく三手に分かれてそれぞれの場所に向かったのだ。
 ……何度も言うが、殺せとは言われていない。だが、嗅ぎ回られていると今になって気づいて早合点したか、その男はなんとかこちらを足止めしようともがいたらしい。
 オレが向かった先、倉庫のあたりでオレにナイフをつき立てようとしてきた娼婦。下手すると今さっき突然金をつかまされて雇われただけって風のそいつの腕を掴み上げてから、グリップの底で額を殴りつけて気絶させた。……クスリでもやってんのか、普通よりもヒョロヒョロの、訓練されてない女が振り回すナイフなんて何も怖いことはなかった。
 ……だが、女を暗がりに転がした次の瞬間、港に響き渡ったのは銃声だった。オレが何か言う前にすかさず偵察に行ったNo.3が叫ぶのを、聞く、というより、感じる。スタンドの声ってのは、空気を介していないのかもしれない。
 その〝叫び〟に呼ばれるがままその場に駆けつけたら、……白いスーツをみるみる赤くしながら倒れ込むブチャラティがそこにいたのだ。
「あ、おい! 待てこのクソ野郎!」
 逃げていくのが目に入ったのは、……ガキだった、下手すると十歳かそこらの。きっとブチャラティは、そいつが港の駐車場で両親に置き去りにされたガキだとでも思ったのだろう。下手したらひどく心配して声でもかけたのかもしれない。……そうでなきゃ、あのブチャラティが銃弾を食らうなんてのが信じられなかった。
 最近良く見る手ではあった。公園を歩いてるだけで即通報されそうなヤバい目をしたやつではなく、幼い子供のツラの前に人参がわりにクスリをぶら下げて銃を持たせるってやり方。ファミリー同士の抗争で、一番前で撃ちあいをしていたのが両方ティーンのガキだった、なんてこともあるのがこのご時世なのだ。たとえとっ捕まったとしても、ガキだったら刑務所暮らしも短くて済む。
 ……くそったれめ、そんなことを考えつつ、死にもの狂いで走り抜けようとするガキを途中までこっちも走って追いかけてから、……銃を構える。胸糞悪くなるような仕事だが、ブチャラティをこんなにされて見逃すわけには行かなかった。
「いけるか? No.3」
「アッタリマエダッ!」
 怒りに満ちたその返事を聞いてから、必死に逃げ出そうとする小さな背中に静かに銃を向ける。ピストルズがいれば、どんどん距離が開いていこうと必要な銃弾はたった1発だ。
 集中すると、視界が狭くなったような感覚になる。銃声ももはや遠く、オレの全ての感覚は、狙うべき相手以外を知覚しなくなる——。銃越しに狙いをつけてしまえば、哀れなガキだろうとなんだろうと、標的以外の何者でもなくなる。引き金を引いた感覚すら、ほとんど無意識に近かった。意識よりもまず先に、オレの体が全てを知っているのだ。遠くでどさりと小さな背中が倒れこむのを見届けると、再びブチャラティに駆け寄った。
 ……太腿からひどく出血していて、……背中の方もスーツが赤くなっている。どうやら、しゃがんだままのガキに下から撃たれたようだ。おびただしい量の血がいまもブチャラティの身体から溢れてくるのを、必死で押さえる。
 オレが向かった先もブチャラティがいた場所もハズレなら、アバッキオが当たりを引いたんだろう。脅しをかけて痛い目合わせる、って仕事に、チームの中で一番うってつけなのがアバッキオだ。
 一応、No.1をアバッキオの報告へ向かわせる。きっとあの男ならきっちり仕事を片付けてくるはずだ。
 今は、ブチャラティを助けるのが最優先だった。
「……立てるか? すまねえが、……立ってくれ、頼むから、ブチャラティ……そうだ、いいぞ……」
 自力ではほとんど立ち上がれない、震える身体を支えてやってなんとか立ち上がらせたが、足元がおぼつかないブチャラティの体はひどく重い。だがそれでも、朦朧とした意識の中でもブチャラティが必死に歩こうとしていることに、死んでなるものかと思っていることに、わずかに安堵していた。

◆◆◆

「ブチャラティが撃たれた! 血が止まんねえ!」
 叫びながら飛び込んだのはきたねえアパートの地下室、度々世話にはなっているスタンド使いの闇医者のもとだった。いつきても下水のような臭いが漂っていて、全体的に埃っぽくただでさえ薄暗い照明は必ずチカチカ瞬いている。運が悪けりゃあうめき声をあげる何かしらのけが人か中毒患者の声が響き渡っているおまけつきだった。
 しかも、医者のジジイは偏屈で、オレは毎回ここに来るたびキレ散らかしていた覚えしかなかった。だが、夜中にギャングを運び込める医療施設なんてもんはこんなところしかないのだ。
「……聞いてるっての、クソガキ! ちったぁ静かにしやがれ!」
「うるせぇ!! ブチャラティが撃たれたんだぞ! 黙っていられるわけねえだろうが!!」
 叫びながらなんとかブチャラティを、背中の曲がったジジイが指差したベッドの上に引きずりあげる。ここまでかっ飛ばしてきた車の中と変わらず、ブチャラティはひどく荒い息を繰り返している。なんとか薄く目は開かれているが、ブチャラティのスーツはいまやほとんどが赤だ。それなのにのろのろと室内を移動して、緩慢にしか見えない手つきでブチャラティに触れるジジイに思わずまた叫ぶ。
「ッテメー! さっさとしろよ! ブチャラティが死んだら承知しねえからな!!」
「努力はするが無茶言うんじゃねえよボウズ! 天にでも祈っとくんだな!」
 叫んでいる間に、気づくとブチャラティは荒い息のまま意識を失っていた。一瞬、マジにやばいことになったかと思ってこっちの息が止まったが、ジジイが焦ってるオレをバカにするように気絶だろと言いやがって腹は立ったが、とりあえず安堵のため息をつく。
 意識を失ったままスーツを脱がされたブチャラティの太腿には赤黒い穴が、背中には裂けた様な傷が残されていた。……低い位置から、ブチャラティの身体の中を弾が暴れまわったのだ。
 意識を失ってるのをいいことにピンセットで穴を弄り回すように中を確認するジジイの姿に、オレはまたブチギレそうになるのを必死にこらえる。
「……当たり前だが、こりゃ一度開いてから縫わなきゃしょうがねえぞ。ちゃんとひらけば俺のスタンドは中身をキッチリ縫ってやるこたぁできるが、あいにくこんな真夜中に急患に使えるまともな麻酔なんてない。痛みのショックで死なれちゃあ意味がねえんだがな」
「……さっさと本題を言いやがれ」
「いま麻酔がわりに使えるのはこれしかねえって話だ。混ぜもんは少ないはずだが、こいつ……ブチャラティだろ? 面倒はごめんだ」
 ジジイがオレに渡してきたのは、……見覚えのある白い粉が入った袋だった。
 このへんにいりゃあ、ブチャラティが麻薬を憎んでるってことは、地下室に引きこもりの浮世離れしたジジイでさえ知っているのだ。
「さっさと決めるんだな。オレにこれを使わせるか、ここでこの男を呻かせておくか」
 お前が決めろ、そうはっきりと言われて、一瞬唇を噛む。
「……どれだけ身体に残る」
「さぁな。楽観的に考えりゃ数時間も寝りゃ痛みは戻ってくるくらい、だろうな。とにかく明日までには体から排出されていくはずだが、ま、正確にどんなもんかは神のみぞ知る、だ」
 手早くブチャラティの腕に輸血の針を刺し入れながら、こっちをみないままジジイが呟く。ブチャラティは変わらず苦しげな表情をしていて、その顔は真っ白で息もひどく荒い。聞いたこともないような音が呼吸のたびに響く。意識を失い目を閉じたまま、だが食いしばった歯の隙間から呻き声が漏れている。
 ……壊れかけ、という表現がピッタリ合うような、そんな姿に見えた。

「……さっさと打て……」
 答えはこれしかなかった。
 これで助からなかったら、お前の後ろ盾が誰だろうとお前を殺してやる。そう呟いて、ジジイの手の中に白い粉が詰まった袋を押しつけ返した。

 ひどい顔したままのブチャラティを見下ろす。その顔はこうして見下ろしている間にも更に白くなっていく。男前が台無しじゃねえか、場違いにそんなことを思う。
 あんたは、こんなもん投与されたと知ったらきっとショックを受けるだろう。それが体に残る時間がたとえどんなに少なくとも。……オレを恨んでくれていい。ただ、たとえこのあと一生恨まれるのだとしても、……オレはそれでもあんたを助けたかったのだ。
 汚れた水溶液の入った注射器の針が、ブチャラティの腕に沈んでいくのを見る。見届けなければならないと思った。
 しばらくすると、ブチャラティは相変わらず息は荒いが浮かべていた苦悶の表情をゆるませはじめる。ジジイが目の前でスタンドを腕に宿らせて、ブチャラティの肉をいじくり回すのを部屋の隅から監視していた。
「失血はひどいが背骨にも影響はなさそうだし、内臓もどうにかなるレベルだ。ずいぶん運が良かったんだから、ま、どうにかなるだろうよ」
「どうにかなるだのならないだのそういう話じゃあねえんだよ。どうにかしねえとお前をどうにかすんぞって話だ」 
 言い切ってから、くん、と鼻を鳴らす。ひでえ臭いがしやがる。
「んにしても、ほんっとにきったねえなこの部屋……くっせぇし……こんなところにいたら健康な人間だってビョーキになるだろ」
「ギャングが清潔なベッドで、合法的な方法で治療を受けられるわけないだろ? ここが嫌なら、縫い終わったらさっさとつれてけ」
 こんなところに弱ったブチャラティを一秒だっていさせたくない、そう思っていたが実際にジジイの方からそんなこと言われるとは思っていなくて、思わず目を丸くする。
「オイオイ……動かして平気なのかよ」
「まあ、腹の中身の止血だけは完璧だ。それにこの部屋が汚ねえのは否定しねえからな。奥にはいくつか死体が残ってるし」
「はぁ? オイッこの臭いッ……クソ野郎がよぉ……そんなもん片付けとけってんだ」
 鼻に飛び込んできてたのは下水のような臭いだと思っていたわけだが、下水の方がよっぽどマシだ! オレは思わず鼻の辺りをゴシゴシ擦ってから悪態をついた。

 ジジイが傷口を縫いおわってすぐ、そのしわくちゃの手から引ったくるような勢いでブチャラティを自分の車のシートに寝かせた。腹と脚を包帯でぐるぐる巻きにされた姿は痛々しいが、顔色は少しは戻ってきている。一応玄関まで見送りにでもきたつもりか、その様子を見ていたジジイが呟く。
「……思ったより穏やかに寝てやがるな。この後うわ言でも出るかもしれんが、その程度ならまあまだマシな副作用だろうよ」
「……うるせーぞジジイ! 助かったのは事実だが、オメーはまず部屋掃除しろ!」
 礼を言う前に減らず口を叩いて、オレはアクセルを踏んだ。
 行先は、オレの家ではなくブチャラティんちにした。きっとその方が綺麗で広いと踏んだわけだが、当たっていた。そっけないくらいにモノが少なくキチッとしている部屋で、ベッドも広かった。
 相変わらず意識は戻らないブチャラティをなんとか必死に持ち上げて、ベッドに寝かせて一息つく。
 白い顔に低い体温、止血はジジイのスタンドが完璧にしてるのかもしれねえが、……もしかしたらやばいかもしれねえ。輸血のパックはいくつか持たされているが、……なんかそういう問題じゃあねえように見える。やけに冷静に、最悪も想定する自分がいた。

 水でも取ってくるか、そう思って部屋から出ようとすると、その身体を見えない巨大な手のひらに押しつぶされたようなうめき声が後ろから聞こえてきて、それが溺れながら何かを人に伝えようとするような、あわあわとパニックになってるような叫びに変わった。
(……ブチャラティじゃ、ねえみてえだ……)
 人間というよりも傷ついた動物に近いその声にそんなことを思いながらも、なんだ、どうした、そう囁きながら慌てて近づいていく。ブチャラティは朦朧としながら、くずれかけた声で言った。

「……オレは……オレは彼女を……巻き込んだんだ……手放してやるべきだったのに、オレは……あいつを…」
 一瞬なんの話かわからなかった、てっきり任務はどうなった、アバッキオはどうしてる、……そうでなけりゃブチャラティのことだ、ガキを殺すなとか言うかと思ったが、……意識がめちゃくちゃになってる今ブチャラティが一番最初に口にしたのは、巻き込んだ、そう懺悔するかの様な言葉で、それに続けて何度も彼女の名前を囁いていた。
 ジジイの言ってたうわ言ってのはこのことか?

 ……この人はこんな極限のときに最初に浮かぶくらいに、その女のことを思い続けていたのか。
 しかも好きだとか会いたいとかそんなシンプルな感情じゃあなくて、相手を思ったがゆえに、手放さなければと思い込むくらいに。……なんだ、それ?

「……〜〜ッ、あんたって人はよォ! 無欲がすぎる! どうすんだよギャングがそんなんで! まあ知ってたけどよぉ……いや、あんたって人は!」
 ブチャラティ、あんたはもっと自分の幸せを求めるべきだ。ギャングが幸せになっちゃあいけねえなんて決まりはねえだろう、巻き込んだなんて言うなよな、そう囁いて聞かせながら、あふれた額の汗をぬぐってやる。
 そのあとも断続的にブチャラティはときたまうめき、思い出したように体を痙攣させて跳ねさせた。
「……うぁ、うぅ…ッ……ハァっ……ハァ…」
 そのブチャラティの姿は、まるでひでえ熱を出した時のこどもみたいだった。看病なんてもんがうまくできる気はしないのだが、タオルで汗を拭いてやって、輸血パックを変えてやるくらいの仕事は、なんとかオレでも続けられていた。

(……こういう時、眠くならねえもんなんだな……)
 そんなことを思いながら、ブチャラティのベッドの脇、床に座り込む。冷蔵庫から勝手に拝借した炭酸入りのミネラルウォーターを口に含んでから、独り言のようにつぶやく。
「……でも……なんつーか……あんたがこんな追い詰められて思いつくのが女のことってーのは、オレは悪くないと思うんだよな。あんたはほんとにいいやつすぎるからな。ちょっとは自分だけの欲ってもんを持つべきなんだよ」
 返事がないとわかっていて彼に語りかけたその直後、——遠くで玄関の鍵がそっと回される音が聞こえた。

 その瞬間自分の目がすうっと細まって、血が冷えていく感覚がわかった。音も立てずに素早く立ち上がり、そっと廊下に出る。壁に背をつけたまま銃を構えて、ゆっくりと短い廊下を進んでいく——

「動くな」
 目に入った小さな姿に迷わず銃口を向ける。薄暗がりの中でゆっくりと振り返ったのは、一人の女だった。黒い目をまん丸にしてこちらを見つめるその顔は、まるで怯えた子猫のようだった。だが怯えているくせに目だけやたら意思が強くて、怒りにも似た色がそこにはたたえられていた。
「……てめー、誰だ」
「あ……なた、こそ、誰……」
 震えた声で返事をすると、女はハッとした顔して堰を切ったように早口で、しかし変わらず震え声で続けた。
「……い、いま家主はいない。あなたが探してる人間はいない。わたしを撃ってもいいけれど、あなたが欲しいものなんてひとつも手に入らない」
 そこまで言い切ってから、女はちらりと寝室の方を見る。……なんて分かり易すぎる動作だ。これじゃギャングなんてやってられないだろう。……また雇われヤク中か?
「……わ、わたしを撃てばいい、銃声で人が集まってくるだろうけど、それでもいいなら撃てばいい! ご、……拷問、されたって、何にも出てこない」
 この女は、撃てだの拷問しろだの、まるで自分が発する言葉一つ一つに怯えてるみてえな様子で言う。
 だが怯えてるのは確かだが、適当を言ってる様子でもないのだ。この女は、本気で目的のためならそうされたっていい、そんな覚悟を持っている様子だった。
 ……だが、この場面でなんでそんな単語が出て来やがる?
「…………なんかよォー、オレが侵入者みてぇに言われてる気がすんだが」
「侵入者でしょうが! 人の家に……!」
「ここはオレの上司の家だ、頼まれて連れてきたんだから侵入じゃあねえよ」
 まあ頼まれてはいないが、きっと目を覚ましてたらブチャラティだって死体の隣じゃない方がいいって言うに決まってんだろう。……この女はなんだ? 隣の家と間違えた酔っ払いかなんかか?
 だが女は、改めて俺が向けた銃にそっと目線をやってからそっと囁いた。
「あなた……〝ミスタ〟?」
「そうだが……オメーは何……、おいお前もしかして、……ブチャラティの恋人、か?」
「…………そ、そうです…」
 そう言うと女は急にへにゃへにゃとその場に座り込んだ。さっきまでの力強い目や言葉は全部なんとか必死に意識を張って生み出していた様で、しゃがみ込んだままこちらを見上げた顔はだいぶふにゃついていた。
「びっ……くりしたぁ……! ほ、ほんとに……悪い人が来たかと……彼が寝てたらどうしよう、ブローノを守らなきゃ、って……」
 わたしなんかじゃ時間稼ぎにも多分ならないですけど、女はそう続ける。

 ……なあブチャラティ、あんたが不安に思うほど、こいつはヤワじゃあねえんじゃねえか? そんなことを思いながら、まずは死ぬほどびびらせた詫びを呟く。
「わりぃわりぃ、まじでびびらせて悪かった」
「いえ! お話は聞いてたので……ミスタさん。今日はどうしてうちに? ブチャラティに頼まれた、っていうのは……おつかいですか?」
 なんとかふらりと立ち上がりながら、女はさっきとはうって変わった人懐っこい笑顔を浮かべる。さっきまで銃口を向けてきた男に見せるにしちゃああんまりにも手放しで懐くような態度を取られて、……こいつはきっと、ブチャラティにもこんな感じで何一つ怯えずに手を広げてみせたんだろうと理解する。
 ……だからこそ、次に続ける言葉を伝えるために開けようとする口が、ひどく重い。

「……あのな、……ブチャラティだが、」

 オレの言葉で目の前の笑顔が凍りついていくのを見るのは、……存外辛いものだとそこではじめて知ったのだ。