「私もさあ……ブチャラティの役に立ちたいんだよ……。頼られたいの、……守られるんじゃなくて……! わかる!?」
……目の前で、アルコールで頬を赤くした女がくだを巻いている。……もうこのセリフも何回聞いた? 一回や二回じゃ済まないのは確かだ。
「……だからね、わたし……アバッキオ。あなたの大きな背と、強い身体が羨ましい。すごく、羨ましいんだ……」
「…………そうかよ」
律儀に返事してやると、恨みがましい目で見てくる。ちなみにこのやり取りもはじめてじゃあない。
……こいつ、こんな面倒なやつだったか? グラスを手放さないまま顔をくしゃりと歪めるチームメイトを眺めながら、自分もワイングラスに口をつける。
大抵のことに対して随分あっけらかんとしていて、人の尻拭いも嫌がらずにやる。我の強い奴しかいないうちのチームの中ではうまく緩衝材になっていた印象だが、……いや、そのストレスが爆発してんのか?
「……アバッキオはさあ」
「……なんだよ」
ぎろ、とアルコールでうっすらと血走った目がオレを見る。……酔ってる女に睨まれたところで、凄みは感じない。……まあ、脅したいわけじゃあないだろうが。
「……身体、どうやって鍛えてるの?」
「……普通に、筋トレしてんだよ」
「ねえ今から背ってのびるかな? 伸びると思う?」
「……さあな。オメー今、年いくつだっけか」
「やっぱりまずはタッパほしいんだよ……アバッキオくらいデカくなってさあ……正面に立ったらブチャラティのことを全部覆って隠せるくらいになれたらいいのに……うあ、うあああん……」
「…………」
……泣きやがった。人の相槌を全部無視した上で、泣いてやがる。
いったいこいつ、ワイン何杯でこうなったんだ? そんな飲んでねえはずだろ、すでに飲んできてたとしたら知らねえが、オレの前ではバカみたいな量飲んでたわけじゃあねえ。仕事の帰りに、相談があるのとやけにしおらしく言われたから心配して一緒に飯を食いにきたらこのザマだ。めんどくせえことに、この女は目の前でくしゃくしゃの顔をさらして泣いている。
あんまりうるさくしてっと店のやつになんか言われんじゃねえかとも思ったが、このバールのテラス席(テラス、なんて言えば聞こえはいいが、実際は路上にまでテーブルをはみ出させて勝手に作った青空席って具合だ、許可なんかもちろんないだろう)では、どいつもこいつもでけえ声で笑ってくっちゃべってるからこいつの喚きもかき消されている。いいぞそうしとけ、馬鹿でかい声で笑っておいてくれ。
「だって……だってさあ……守られるだけじゃ、いつまでも助けられてるだけだよ。……それじゃいやだ!!!」
また吠えて、それからテーブルに軽く突っ伏す。……こいつ、舞台女優にでもなれるんじゃあねえか?
シラフの時とのあまりにも激しい差を見せつけられて、思わずそんなことを思う。いっつも酔ってる役者か。ろくな芝居じゃあなさそうだが。
この語りに巻き込まれている中で、だんだんと辟易するというよりも、興味深くこいつの吠えを眺めはじめた自分には気づいていた。
「羨ましいの、あなたが心から。……アバッキオはいつだって、ブチャラティに頼られてる」
テーブルから少しだけ顔を上げて、こいつはぼそぼそとつぶやく。
「ブチャラティはお前のことも頼ってるだろ」
「違うの!違う……そうじゃない……わかってるくせに……!」
がばりと顔を上げると、さっきまでの大騒ぎとは少し違うやり方でどこか寂しげにささやく。
「ブチャラティに傷一つ付けたくないし、辛い時に寄りかかってほしいし、……そんな風に、役に立ちたいよ」
ぼそぼそとささやき続けながら、またその顔は下を向いていく。
ブチャラティとこいつが恋人同士として付き合ってるってのは知っている。付き合いはじめは案外最近のことだ。
確かにこいつからブチャラティにはずいぶん長い間抱え続けたどでかい片思いの感情が丸出しだったが、ブチャラティがそれを受け入れたのは意外だった。……そんなこと言やあ火に油だからもちろん言わねえが。
……こいつに限らず、きっとチームのやつ相手なら、ブチャラティの恋人になったって聞いたらそれが誰だってオレは意外だと思っただろう。ブチャラティはチームのやつらに対しては友情以上にならないよう、自ら線を引くタイプだと思っていたから。
だからすでに、付き合ってるって時点でこの女はブチャラティの壁を一つ壊しているのだ。だから何を不安に思う必要があるのかとも思うが、こいつにとってはそうでもないらしい。
「……誰かのためにって思ってるからこそ、動けちまうような男だろ、ブチャラティは」
自分のために、そんなことで動いてる姿が思いつかない。……それはどこか、危うさもあることは事実だが。
「……そんなやつを、わざわざ守ってやる必要はねえんじゃねえのか? 逆になんかを守ろうとするってことがあいつの原動力ってとこあるだろ」
それでも目の前の酔っ払いは納得しない。これで納得してりゃあオレも二回も三回も同じ話を聞かされることもなかったのだ。
憮然とした顔のまま、また勢いよく身体を持ち上げると酔っ払いにしては良く通る声で叫ぶ。
「それでも! 辛いときに! 苦しいときに! はいあなたならどうするのアバッキオ!」
「……どうもしねえよ、酒でも飲んで寝る」
「……えぇ……? そんなら呼んでいいよ、サシで愚痴聞くよ」
「いやいらねえよ……それこそブチャラティになんて言やぁいいんだよ……」
厄介ごとはごめんだ、そう頭の中でささやいてから、思わず自嘲的な笑みが浮かんで口元が歪む。……十分すぎるくらい、今の状況が厄介ごとそのものじゃあねえか。オレの表情の歪みなんぞ気づかずにあいつは続ける。
「でも、アバッキオはそうじゃないとしたってさあ! すこしは、疲れたら甘えたいって、癒されたいって思うんじゃないの? それが守ってるって相手にもできるもの? 違くない!? 守ってる相手に弱いところ……見せてくれないんじゃないかなぁああ……」
うめくように言いながら、こいつはグラスを危なっかしい位置に置いてテーブルに突っ伏す。まだワインが残っているのに今にもひっくり返しそうなグラスを、その手の届かないところへとひょいと取り上げる。
そうされたことにも気づかない様子で、つっぷしたまま目の前の女は叫ぶ。
「アバッキオみたいになってさあ! 腕っぷし強くなってさあ! ブチャラティを何からも守れる人間になりたいよぉお……あの人の人生からさあ! つらいこと……全部……なくしたいんだよぉ……」
ぐすぐす鼻を鳴らしながらメソメソしているのをただ無言で眺めてやることくらいしか、返事としてこいつに与えてやれる持ち合わせはねえ。
だが、ブチャラティに対してそんな風に思う気持ちは分からなくもない。とういうよりも、あいつの下にいる人間はみんな多かれ少なかれブチャラティに救われてここにいる奴らだ、恩義を感じてるというよりも、あいつが自分にとってついて行くべき人間だからこそ、その力になることが正しいと思えるからこそ、そばにいるのだ。
そして、たとえそれが酔っ払いのどうしようもない戯言だとしても、オレみたいになりたい、正直言やあそんな風に言われんのは満更でもねえ。……だがそう思うなら、
「てめぇで誘っておいて歩けねえほど酔っ払ってんじゃねえぞこの野郎……」
結局あのあと、この女は泣きながらテーブルにつっぷしてそのまま寝息を立て始めたのだ。まさかと思って肩を掴んで揺らしたらなんとか一瞬意識を取り戻し、突然、大丈夫ここは払うから!そう叫んで多すぎる金額をテーブルに叩きつけてまた突っ伏したのだ。
そしてオレは、首がすわらずぐらぐらと頭を揺らすままの酔っ払った女に肩を貸して、そいつを引きずって運ぶ羽目に陥っているのだ。
「てめえ……寝てんじゃねえぞ……せめて起きやがれ……」
「吐く……よ……」
「あァ!?!!」
とんでもない発言に慌てて顔を声の方に向けると、すぐ横にあるのはゲロを今にもぶちまけようとする人間の顔色には見えないような、何故か幸福そうな、赤くなった寝顔があった。半分寝たままの顔で、こいつはぼそぼそとささやく。
「吐く……より……寝るほうが……ちょっとマシ…でしょ……? かぎ……ぽっけ、に……あるから……」
耳元で途切れ途切れにささやかれた言葉をなんとか頭の中で繋げてからハッとする。もしかして、こいつは半分確信犯でオレに運ばせやがったのか……? ふざけてんだろ……。
「……お前、素面に戻ったら覚悟しとけよ……。てめーが女だからってオレは殴るときは殴んぞ……こんなんさせられたら見てる人間だって満場一致で殴って当然って言うだろうよ……。酔っぱらいを殴んのはシャレにならねえからよ……素面になったらてめぇを殴るからな……」
悪態をつきながらなおもこいつをひきずっていく。今すぐ捨てて行きてえ気もしたが、スタンド使いとはいえさすがに女を路上に置いていくのは気が咎める。……オレは結局この女に求められるがままに、こいつの家まで酔っ払いを引きずっていくことになってしまう。歩く意思をほとんどなくした力の抜けた身体は、普段よりもよっぽど重くてしかたない。
なんとかこいつのアパルトメントの階段をのぼり、ドアの前までたどり着く。やけに消耗している自分がいた。相変わらず、人に身を預けるという意思もなく、ただ脱力した身体は死体と同じように重い。運ばれるっていう気持ちがねえと、こんな女の体でもここまで重くなるものかと感動すらする。
「カギ……ポケットって……。お前、どっちのポケットだよ……クソ……」
スープの中で永遠に煮込まれたぐだぐだの野菜みたいになったこいつの身体、悪態をつきながらそのポケットの中身を右か左かとごそごそとあさる。なんで悲しくてチームメイトのポケットに手を突っ込まなきゃならねえんだ、おい鍵見つかんねえぞポケットてお前どこに入れてんだよ、苛立ちをそのまま口にしながらなおもごそごそとこいつの服の中を漁っていると、……目の前のドアが突然、鍵を開ける前に内側から開いた。……そこには、
「ブ、ブチャラティ ……」
「…………アバッキオ、か?」
よく分からねえ状況に取り残された男二人が、女の部屋の前で顔を見合わせている。本人は軽く寝息を立てたままだ。
……なんて間抜けな状況なんだ?
「あんたここにいたのか……」
それならどっかで連絡して、この酔っ払いをブチャラティに回収させりゃあよかった、そんな気持ちでささやけば、あいつは少し戸惑ったように返した。
「あ、ああ……。特に会う約束はしてなかったんだが、週末だろ? 合鍵はもらってっから……待ってようと……」
そう言って、ブチャラティは何故か寂しげに目を細めて、一瞬オレから視線を外した。
おいおいおいそんな顔すんなそりゃあずいぶん見たことねえ表情だな!
ブチャラティの口元はきゅっと引き結ばれて、心拍数がイヤな感じに跳ね上がってるのが脈を計んなくてもわかるくらいだった、……緊張だかで、こちらから視線が外れたその目の色が変わってんだよ。
だが、あぁ青い目ってのは感情の変化がよくわかるんだな、どこか場違いにそんなことを考えてしまう。
「……世話かけたようだな」
死体のようにオレの肩にかろうじてひっかかったまま寝てる女に目を向けてブチャラティは続ける。
「…………ああ、とんでもなくな」
本当にひどい目にあった、それをブチャラティに報告してやりたいぐらいだが、なんだかそれも違う気がして口をつぐむ。
「お前の前だと、こいつ、こんだけ酔っ払ったりするんだな」
……んなことをアンタも寂しそうに言うな!!! 真夜中のアパルトメントの共有廊下でそんなこと叫びそうになって、一度ゆっくりと長く息を吐きだしてから続ける。
「……色々とめんどくせえし、こいつにも今日話したことをあんたに黙っててくれとも言われてねえから言うが、ブチャラティ、こいつはあんたに頼られたいんだって悩んで喚いて結果このザマだ。……甘えてほしいとかあんたを守りたいとか散々言って、最終的に自分がガタイをよくしたらいいんじゃねえかと思ったんだとよ」
「…………それでお前に相談したのか? お前が一番……鍛えてるから?」
思わず笑う息の音が聞こえる。ブチャラティの言葉は、特に間違ったことは言ってねえから適当に頷いてやる。
「……そろそろ、こいつをアンタに預けていいか?」
「……ああ、オレが運ぼう」
ぐらぐらと頭を揺らす身体をブチャラティに引き渡すと、急に体がやけに軽くなる。……身長差があるせいで、オレは引きずるというよりもほとんどこいつを持ち上げていたのでは? ……道理で肩が痛えわけだ……。
「……ブチャラティよお」
自分に彼女を寄りかからせながら、ブチャラティはオレの言葉に問い返すように眉を上げる。
「一回甘えてやったらきっとこいつの気は済むから、そうしてやりゃあいいんじゃねえか」
今後もこんなことに巻き込まれるのはごめんだ、半分そんな気持ちで言ってみる。
だがブチャラティは、今度こそ少し寂しそうな顔で呟くのだ。
「……それが難しいってのは、お前が一番よくわかるだろ? これまでリーダーとしての顔しか見せてねえんだ」
「……だとしても、チームの人間と付き合うってことを選んだのはあんただろ、……腹割ってやれよ」
とまどいをそのまま映すように、ブチャラティの目が一瞬揺らぐ。……お前が頼られるような人間でいるから、この女(今はブチャラティに寄りかかってスヤスヤ眠りこけている。守りてえとかなんとか言ってた相手に思いっきり世話になっていやがるのだ、……ざまあねえとは言わないが、ちったあ目覚めてから反省しろ、)はお前のことが好きってわけじゃあねえだろ。むしろあんたがあんまりにもまともで優しくて、揺らぐような部分があるからこそこいつはお前に惚れているみてえだが、……そんなことまで言ってやる義理はねえ。
じゃあな、そう呟いてオレはブチャラティとその隣で眠りこけたままのヤツに背を向けると、アパルトマンの螺旋になっている階段を降りていく。……今度は、もう少しばかり静かなところで飲み直さねえとやってらんねえ……。
「……アバッキオ!」
突然、上から声が降ってくる。階段の間から顔を覗かせれば、こちらを見つめるブチャラティの姿があった。
「ありがとうな」
「…………おう」