光暈 - 1/2

私の部屋。坂の町であるこのネアポリスの、町のてっぺんと海から見たらその真ん中くらい、狭い路地に面した、窮屈ながら家賃は安い部屋。常に誰かしらの生活音が部屋の中からも外からも聞こえてくるくらい壁も薄い。
隣のおばあちゃんなんか道を挟んですぐ向こう側の雑貨屋に出向くのも億劫がって、ベランダから注文を叫んで買い物なんかしているせいで、ベランダの窓が開いていれば何を買ったかも全部わかっちゃうくらい。本当にいろいろなものが近いのだ。
でも、そんな風に隣の誰かの声を聞いていたり、その存在をほのかに感じていると、孤独が薄らぐ気がして私は好きだった。

まあ、そんな建物だからお世辞にも居心地の良い内装がそろっているとは言えず、個人的な努力で室内の装飾は少しでも良いものにしようとしているけれど、水回りはいかんともしがたい。水捌けが悪く窓もないバスルームでシャワーを浴びるたび、次引っ越したらせめてバスルームに窓をつける!そう思っていた。
……でも、あの雨の日。雨に降られたブチャラティにシャワーを貸してあげて、一緒にこの部屋で短い時間を過ごしたあの日。私の部屋で二人きりの時間を経て、あまつさえ食事に誘われるなんて信じられないことが自分の身に起きたせいで、現実感のなさにふわふわしたまま、彼が使ったバスルームのドアを開けた時に私を包んだ熱気。
どんなに信じられない幸運だったのだと思っていても、ブチャラティは本当にここにいたのだと主張するように、いつまでもバスルームに残る蒸気にくらりときて、ああもう私はこの感情から逃げられないと悟ったのだ。

わたしはあの日から彼のことばかり考えてしまって、上の空でいることが続いていたのだ。

その日も、うちの前にそびえ立つアパルトメントに遮られ、半分だけしか見えない夕日をベランダでぼんやりと眺めながら、またあの日のことを思い出していたら突然下から誰かが私を呼んだ。
……それは聞き覚えのある声だった。誰だかはわかっていたけれど、そんなの都合が良すぎてなんだか信じられなくて、それでも名前を呼ばれるがままベランダから顔を出したら、ブチャラティがわたしに向かって手を振っていた。そしてそのまま、会おうと約束した水曜を待たずに一緒に外で食事に出かけることになっていたのだ。
友人として一緒に食事に行くなんて、もちろんはじめてじゃない。でも、……あんなふうに気持ちを触れ合わせたあとでははじめてだ。

表面から見たら、何も変わらないように見えただろう。
それでも、……彼の目が、これまでとは変わっていたのだ。友人としての顔をするのではなく、そこに熱をのせても良いのだという関係になったら、彼は遠慮をしなくなった。

湿度も温度も高い、まつげをゆっくりと持ち上げてこちらに目線を向けるやり方すら、今までに見たことないぐらい色っぽくて、こんなにも変わるものなのかと、彼の本気をぶつけられながら息をするだけで必死になるくらいだった。それでも、無理やり距離を近づけようとはしない。隠さないけど、その熱に私が触れようとするまで、彼はそっと待っていたのだ。

私の部屋が面している狭い道を、彼は坂の上から海の近くの下の通りに出るための近道にしているのだと言った。
それでも、ねえいつからあの道を「近道」にしたの? そう聞いても、ブチャラティは笑って見せるだけだった。

それから、私は彼が通るのを期待してベランダで読書をするようになって、ブチャラティもアパルトメントの下の道を通るたびにこちらを見上げてくれるようになった。
その時、彼に挨拶されたからっていつでも一緒に出掛けるわけじゃあない。声も出さずに目を合わせて、手を振りあうだけの日もある。

彼はそんな風に、私の日々にそっと寄り添うように入り込んできたのだ。

そして彼が私の生活に入り込む方法は、ベランダ越しのあいさつだけじゃなかった。
例えば、家に帰ってきたら彼からの何かしらお裾分けがドアノブにかかっていたり。街の人みんなに気にかけられている彼が、一人で食べきれなくなったものをお裾分けで置いていくのだ。中身はたいてい、果物やパンとか。
いつだったか、野菜が満載の段ボールが玄関の前においてあった日は少し面食らったけれど。
なんだか、あんな人に対してこんなこと思うのは妙な話かもしれないけれど、おばあちゃんとか従姉妹たちがこういうことしてくれたっけと懐かしい気持ちになっていた。それにこういうおすそわけは彼にきちんと食べてるのかと心配されるようでこそばゆくて、そして嬉しかった。

逆に、私が魚屋にすすめられるがまま断りきれず大量に買わされてしまった小魚に、さらに大量におまけまでつけられてしまった時には彼に助けを求めて部屋に呼んだこともあった。
ブチャラティはワイン片手にやってきたうえ、漁師料理だがと断りを入れつつ、大量の生魚にお手上げだった私の代わりにフリットを手際よく作ってくれた。揚げたてを待ちきれずに立ったまま食べてたら、きちんとテーブルで食べる頃にはずいぶん減ってしまっていたくらいにはおいしかった。

でもいつだったか、好きなパン屋さんの話をした後にそのパン屋さんのパンが「おすそ分け」の中に入っていたことがあってから、本当にこれは余ったものを分けてくれているだけなのだろうか、そんな風に思うこともあった。
実際どうだったかは聞けずじまいだけど、こんなやり取りはあのブチャラティがまずは私とは友達としての距離をつめることにしたのだと主張する、あまりにもいじらしい宣言のようにも思えたのだ。

そんなことを繰り返しながら、私たちの間には劇的なことは何もなくて、ただ静かに距離が近くなり、ただ静かに恋に落ちていた。
だけど今の私に必要だったのはそんな恋だった。そして今の彼が求めたのも、同じかたちの恋だったようだ。
こんな穏やかな恋をしていると、まるで〝普通の男〟の恋人になったみたいだった。……そうじゃないのだとはわかっていても、(——この街で生きる限り彼のことを普通、だなんて思うことは難しい、)今だけそんな夢を見てもいいだろう。平凡で普通、そんな言葉が似合わない人と、そんな恋をしている。

そしてそんな恋だと振る舞っている。ふたりで。

しかし『平凡で普通で優しい恋』が、私の心をかき乱さないかと言うとそれは違った。

私が彼の恋人になったのだと、たとえこの瞬間だけだとしても、彼にとって「この世でたった一人の女性」になったのだと理解させられるたびに、いつも私は動揺するばかりだった。
あんな風に、それこそ恋人というよりも親友のようにそばにいてくれた一方で、私を優しく抱きしめて甘い言葉をささやく。
あのどこまでも潜っていける湖の様な、彼の心そのものの深さを思わせる、何層にも色が折り重なって光る青い瞳が信じられないほど近くにあって、私だけを見つめて、その手が頬に触れていて、彼の吐息を感じさせながら名前を呼んで――。
相手はギャングだってわかっているのに、それでも素のままの自分を肯定されるように愛される日々はひどく甘く、いとおしい。
初めて恋をした子供みたいに簡単に動悸が激しくなる自分に気づいてしまえば、わたしは果たしてこれまでに『恋』をしたことがあったんだろうか、そんな風にすら思うようになった。
かつてパートナーがいたことはあったけれど、それじゃあ『恋』は? 彼と交わすこの感情こそが本当の恋だというのなら、私が知っていたものは一体何だったのだというのだろう。

彼はわたしにとって、きっとこれまで出会った誰よりも、特別だった。

ネアポリスのギャングとそんな恋、柔らかで優しい恋を自分がしていることがひどく不思議に思える瞬間もあるし、だけど同時に「ブローノ・ブチャラティ」という人について考えていると、それはあまりにも当たり前なような気もしてくる。

ブチャラティは自分の仕事についてすべてを隠すわけじゃあないけれど、実際に何をしているかは、特にネアポリスの裏路地で行われているようなことは私に見せないようにしていた。

だけど、仕事で実際に何が起きたのかまでわからなくても、それを目の当たりにしてきた彼の感情自体は良くわかるのだ。
私の前に現れた彼が悲しみを隠そうとしている日、とにかく何かがあったのだと予感させる日、わたしはとびきりあの人を甘やかしてあげたくなってしまう。
ブチャラティ自身は、そんな風に自分の身体に不可避に浮かびあがってしまう感情すら、私の部屋に持ち込みたくないと思っているのは知っていたけれど。

その日も、彼は仕事帰りに私の部屋に寄ると言っていたから、いつ彼が来たっていいようにパスタソースだけを作っておいたのだ。深夜に取る食事も、彼と一緒に過ごしていたらもう慣れた。
ぼんやり待っている間にも、私はあの人を、ブチャラティを待っているのだ、そう思うだけでほのかな高揚を伴う時間に変わる。

普段ひとりで過ごしているときには、仕事のあとの時間なんて何をするでもなくあっという間に寝る時間になってしまうというのに、誰かを待っていると時間は長く引き延ばされる。そして今日もまた、待ち続けた夜も遅くにそっと開かれたドアの音が聞こえて飛び起きることになったのだ。

待ち遠しかったその帰宅に、(決してお腹が空いてたとかそういうわけじゃない、決して!)慌てて玄関に向かう。ブチャラティはまるで飼い主の帰宅を喜ぶ犬のように玄関に転がり込んできた私を見て一瞬驚いた顔をして、それから――普通の顔で笑おうとして、どこか失敗していた。
熱っぽい瞳が、私を見て揺らぐ。いつもよりも瞳の奥の色味が濃い、深すぎて光の差し込まない湖のような、なんだか……怖い、目をしていた。

どうかしたの、そう聞こうとする前に、何も言わないままのブチャラティの腕に勢いよく抱き寄せられる方が先だった。

(……熱い……)

私を抱きしめるブチャラティの身体は、ひどく熱を帯びていた。服越しにもわかるくらいだけど、具合が悪いわけではなさそうだ。彼は何も言わずに私の頭に顔を擦り寄せる。擦り寄せられて、自分の髪と彼の髪が混ざり合うようにさりさりと音を立てるのを聞いていた。
今の彼からは、いつもと違う匂いがした。私の大好きな彼の汗の匂いと香水の匂いは少し遠くて、代わりに、土のにおいと、……何かが焼けたような、まるで花火のような火薬のにおいを感じる。
……前にもブチャラティがこんな匂いで帰ってきたことがあった。その時は、私に聞かせる気なんてないまま思わずこぼしてしまったように、あれは、ひどい「狩り」だった、そうつぶやいたのだ。あの時はその後いつまでも彼の目の中から鋭さは消えず、抱きあって一晩一緒に眠ってから、ようやくいつものブチャラティに戻ったのだ。

今、抱きしめる腕の力は強いのに、何故か彼にすがりつかれているようにすら感じるやり方で、ブチャラティは私の首筋と髪の中に顔を埋めた。

更に強くぎゅうと抱きしめられると、熱い塊がわたしのお腹のあたりに硬く当てられているのに気づいて、一人驚く。
ただいまを言うよりも先に抱きしめてきた時点でいつもと違っていたが、これは更に、なんていうか彼らしくもなくすごく急で……戸惑いよりも、少しの心配の方が先に心に浮かび上がる。でも、強く抱きしめられているとその顔を覗き込むこともできない。
あてられた熱に私が気づいたのもわかっているんだろう、ブチャラティはゆっくりと私の耳元で息を吐き出してから、ほとんど吐息ばかりのささやき声をこぼした。

「今日は……。……良ければ、君としたいんだ」

どこか彼らしくもない、少し幼いような印象も与えるようなその言葉に、そしてその内容にさらに少し驚く。
……こんなに急にそういうことを言われたのは初めてだった。普段のブチャラティは身体中柔らかくふれてキスをして、そんな風に触られたら逃げられない、そう思うくらいにこちらを高めてからそっと聞くのだ。今の私が彼に身体を預けられる気持ちかどうか、それを言葉で、指で、唇で丁寧に聞きながらでないと先には進めない。
しかも、たとえベッドの上で半裸でキスをしたところでも、私がうなずくかどうかを彼はいつも待っていてくれたのだ。もし私がくすぐったいだけだったり、今日はキスだけでいい、そういう気持ちでいるときは絶対に、無理にそこから進めることはない。

こんな人がいるのだと、最初はひどく驚いた。そんなことで驚くなんてどれだけひどい人とばかり付き合っていたのかというと——きっとそんなことはない。みんな『普通』だった。ただ誰よりも、ブローノ・ブチャラティが正しく優しかったのだ。

だけど、そうなると『私相手だからこそ、気持ちや欲を抑えられるのかもしれない』なんて、……彼の優しさに対して不誠実極まりない不安を抱くことだってあった。
――だから正直、こんな風に聞かれて驚きはすれども、同時にとても嬉しかったのだ。

耳元でささやかれたその一言で、簡単に私の身体は彼の温度がうつったみたいに熱を持ち始める。うなずく以外の選択肢はなかった。

「……シャワーを浴びてくるから、待っていてくれ」

ブチャラティは私のくちびるではなく頬にそっと音を立ててキスをしてから、私を放した。
引き留める間もなく、彼は何よりもまず「仕事」で染み付いた匂いを消したいと思っているのだろうか、私を玄関に取り残したままバスルームへと消えた。

……別に、構わないのに。今すぐベッドに行ったってよかったのに。……ベッドじゃなくても別にいいのに、ここでだって、そんなことを一瞬でも思った自分に驚く。あの抱きしめる腕に、すり寄せられた頬に、耳元でささやかれた低い声に、どれだけ自分があてられていたのかを理解させられてしまう。

彼に触れられる期待で自然と荒くなってきた息を、口元に手を押し付けてやり過ごそうとする。……だけど、

(……無理かも……)

私は熱に浮かされるがまま寝室に飛び込み服を脱ぎ捨てベッドに放ると、下着姿のまま、タオルと、ベッドサイドの小さな引き出しに入れてあるアルミの四角い小さなパッケージを取り出す。私の部屋の中においてあるものだけれど、普段はブチャラティがその手でその四角を破る姿ばかり見ていたから、それを今自分が握りしめているのがなんだか不思議だった。

……下着姿のままでバスルームのドアの前に立つ。中からは、あの日と同じように彼の身体を滑り落ちて跳ねる水音が聞こえる。
あの時より関係は進んで、一緒に裸で抱き合うような関係になっているっていうのに、私の心臓は信じられないぐらいバクバク言っていた。
ブチャラティはきっとするならベッドの上で、きちんと無理のないようにしたいと言うだろう。でも、今、私がしたいのだ。これは私のわがままだ。

はじめて彼としたときよりもよっぽど緊張しながら、私はバスルームのドアを開く。

うちにバスタブはない。狭いバスルームを無理やりアクリルで区切るかのように、透明なドアがついたシャワーブースが洗面台やトイレの隣に押し込められているのだ。アクリルのドアの向こうにいる彼には、私が入ってきた音は聞こえていないようだ。

湯気の中に浮かび上がる彼の広い背中を一瞬ぼんやりと眺めてしまってから、そっとブチャラティの名を呼ぶ。

するとすぐにシャワーが止んで、バスルームは突然静かになる。濡れた髪をかき上げつつ、彼はこちらに顔だけを向けて、どうしたというように頭を傾けた。

「……入ってもいい?」
下着姿で突っ立ったままの私の突然の言葉に、彼は少し目を開いてみせた。声に戸惑いの色をのせたまま、でも優しい言葉が返ってくる。
「いや……そうだな、もうすぐ空くから少し待ってもらえるか」
「……そうじゃなくて、私、ブチャラティと……一緒に入りたい」

そんなこと言いながらも、どこか冷静になりつつある自分にも気づいていた。たとえシャワーを一緒に浴びさせてくれても、ここじゃあしないぞ、冷えるだろとか滑るだろとか言われて結局ベッドでするんだろう。
だけど、別にそれでよかった。少しでも一人で部屋にいたくないし、彼を一人にもさせたくなかった。触れていられる時間が最大限長くなればよいのだ、狭い狭いと言いながら一緒にシャワーを浴びるだけでいい。そう思いながら彼の返事を聞く前に下着を取り払って、透明なシャワーブースの扉を開けた。

こちらに背を向けたままのブチャラティに後ろから抱き着く。直に触れた濡れた背中はすべすべとしていてひどく熱い。きれいに筋肉のついた彼の背中が、私は大好きだった。
「……待ってらんなく、なっちゃったから……」
黙ったままの彼に抱きつきながら思わずそんなことを口走ってハッとなる。急に恥ずかしくなってきて、ごめんふざけすぎたよね、そんなことを言おうとして見上げると、……見上げた先のブローノの瞳は、熱でゆらいでいるように見えた。
「……ッ」
鋭く吐き出される息の音とともに腕を掴まれて、ブチャラティの背中に抱きついたはずの私はぐるりと半回転させられて彼の正面に引きずり出されていた。壁とブチャラティに挟まれて、絶対に逃げられない場所だ。急な動きにきっと私だけなら派手に転んでいただろうけど、彼の腕が私の身体を支えてくれていた。
気がつくと、彼に手首を掴まれたまま壁のタイルに押し付けられていた。どちらかが何を言うよりも、荒い息になった彼が私に深く深く口付けてくる方が先だった。

「ん…ふ、……っ」
冷えたままのタイルを背中に感じたのは一瞬で、キスで火をつけられた私の身体が発する熱であっという間に冷たい壁は体温に馴染んだ。
バスルームでキスなんかすると、二人の粘膜がまじりあう水音、息継ぎをするときに漏れる息の音、全部がよく響いてしまうのだということを私ははじめて知ったのだ。
そのキスは今までしたものよりずっと何もかもが〝むき出し〟な印象で、私の中に触れていない部分が残るのが許せないとでも言うように、口内中を余すところなく舌で触れ、くちびるを優しく噛んだ。柔らかな舌に上顎を中から撫でられるだけで背筋がぞくぞくとしびれる。あまりにも深い口付けにおぼれるんじゃないかなんて思うけれど、鼻にかかった彼の荒い息がかかるのを感じれば、溺れそうなのはブチャラティも同じなんだと思えて、余計にいとおしい。
二人でお互いの奥まで舌で触れたいと求めて、二人でおぼれかけている。そしてそんなキスは、何より気持ちいい。
シャワーブースの中に満ちた蒸気と、抱き合って生じた熱の中でそんなキスをしていたら、あっという間に頭がくらくらしはじめる。思わず苦しそうな息の音が私の鼻から抜けて聞こえてから、彼はようやく頭を私から遠ざけた。くちびるはじわりと、にじむような熱をもったままだ。

「……ッ……すまない」

ブチャラティは私をいたわるように柔らかに抱きしめて、頭から背中までを何度も撫でながらささやいた。

「このままじゃ、我慢がききそうにない……」
「……っ…」

ブチャラティに聞き覚えのないくらい切羽詰まった声を耳元で出されて、耐えられる人間がいるんだろうか?

「……我慢、なんてしなくていいよ。……しないで」

そう言って、私はブチャラティの腕の中からそっと彼の顔を見上げる。今度は、少し背伸びをして私の方から彼に口づけた。

くちびるを重ねあうだけのキスを何度か繰り返して、それから彼のくちびるを柔らかく食む。抱きしめられたまま交わすのは、さっきまでのお互いの中で溺れあうようなキスではなかった。
彼に甘えるような、くちびるを何度もそっと重ねるだけのキスをブチャラティは優しく受け止めて、同じように返してくれる。そんなかわいいキスをしてみても、このバスルームにいると触れ合う粘膜からやらしい水音がよく響いてしまうのは同じだったけれど。キスを重ねる間に、どんどん頭に、耳にと血がのぼって、じりじりと焼けるように熱くなっているのがわかる。
抱きしめられたままキスをしていると、彼の手のひらが私の頭を何度もなでて、そして時々、たまらなくなったかのように髪をくしゃりと掴むのがなんだか心地よい。そのしぐさは我慢ができなくなってしまった今の彼の感情の表れのように思えて、私の口角は勝手に持ち上がっていた。
腰に回された彼の手が、背中から腰までをするすると柔らかく撫でるたびに、キスをしたまま私の息が跳ねる。乱れた息の音を聞いて、ブチャラティの方も笑った息の音をこぼした。

ついばむような、ふざけあうようなキスのあと、彼はわたしの二の腕を何度か撫でてからぎゅうっと前から抱きしめてくれた。

「……ああ……身体が冷えてるな」

確かに、ブチャラティに触れられたところをひどく熱く感じるから肌の温度は下がっているのかもしれない。
それでも、彼に抱きしめられながら深くキスされて灯った熱が今も身体の中で暴れているから、私自身が寒いとは感じていなかった。
それでもブチャラティは、私を温めなければとシャワーのコックをひねった。

温かいお湯が頭上から降ってくる。頭からこぼれた湯が、身体の境界線を改めて引き直すように私を撫でていくのがすごく心地いい。
シャワーを浴びながら彼の顔を見上げようとしたら真上から降るシャワーのお湯をまともに顔面にくらってしまって、すぐに下を向いてごしごし顔をぬぐっていたら、彼は一瞬柔らかく笑った。
そしてもう一度彼の手によって身体をくるりと反転させられて、気づけば後ろから覆うように抱きしめられていた。

背中に彼の熱を感じる。私を抱きしめながら吐き出された柔らかなため息に、ブチャラティの腕の中に閉じ込められているみたいに思えて、さらにお腹の奥に熱が生まれるようだった。
彼の身体をなぞった温かいシャワーの湯が、私も同じように温めていく。同じ温度の中に、二人の体が混じっていくみたいだった。
愛おしそうに指の背で私の頬を撫でた手が、そっと下に降りていく。鎖骨を撫で、胸の線をなぞって、彼の大きな手のひらは柔らかに私の胸を掴んだ。
それだけで、期待で息が少し上がる。敏感になった胸の先が、彼の手のひらの下で硬くなっていくのをきっと彼は気づいているのだろう。

胸を揉まれること自体に快感が生まれることはあまりなくて、むしろ私は彼の手のひらが自分の胸を、いとおしげな手つきで触れてくれているというその事実に対してたまらない心地になっていた。
だけどそんなこと思っていられる余裕はあっという間になくなってしまう。主張しはじめた胸の先を彼の親指がくるくると撫でるたびに小さく声が漏れて、つま先にまで力が入ってしまう。

「あっ……んん、んぅ……」

びりびりと甘く走る刺激に思わずぎゅっと目を閉じたまま、後ろで私を支えてくれている彼の首元に額を押し付けるようにして快感をやり過ごそうとする。頭を彼に寄せたまま、ふとまぶたを開くとブチャラティの熱のはらんだ瞳とまっすぐ視線が絡み合って、気づけば吸い寄せられるように再びキスをしていた。

触れられて漏れ出る声の逃げ場がなくなって、気持ちよさで我慢できない声は彼とつながる口の中に消えていく。キスの快感で、胸に与えられる刺激で、それぞれ声がこぼれるたびブチャラティはそれをさらに求める様に、奥深くまで舌で触れる。歯列をなぞり、舌の裏側まで触れられてしまえばさらに我慢なんてできなくなってしまう。

「んン、んぅ、……ふ…ッ…」

そうしながらも彼の手は私の胸にふれている。
私が欲しいのだと言い聞かされるような、丁寧でどこまでも深いキスと、彼の指先が撫でる様に、握る様に胸の先に与える刺激に軽く限界をむかえてしまって、私がか細い声をあげながら身体を震わせてから、ようやく彼は口づけをやめた。
あまりに深いキスに、一瞬、銀の糸が口元をつないだのが、まるで二人の興奮を目の当たりにするようでまたさらに体温が上がってしまう。