「……昔ね、おばあちゃんの家に暖炉があったの。今はもう、その家は知らない人が住んでるはずなんだけど」
突然口をついて出たのは、何故かもう10年も前に亡くなった祖母の家のことだった。
「子供の頃、居心地が良い場所ってその暖炉の前だけだったんだよね。凄く温かくて、……そのあったかさがちゃんとお腹の中まであっためてくれて、きれいで、もう何時間でも見てられたんだよね!」
「……しゃべるな」
熱に浮かされたように口がまわるのを、隣にいるブチャラティは低い声で止めた。随分横柄な物言いじゃない? たとえブチャラティでもそんな言い方されたらちょっとショックなんだけど、そう言ってやろうと思って彼の方を見る、……ブチャラティの顔にも、スーツにも、赤い飛沫が飛んでいた。どうしたの? 痛くない? でもそう聞く前に勝手に自分の口が動いて、暖炉の話の続きを始める。
「それで、暖炉でパンを温めたりするのね、やっぱり炎で温めたほうが味も美味しい気がするんだ」
「しゃべんなって言ってんだろ……。今はもう寝てろ、あんな派手に撃たれたんだぞお前……」
心配した表情でブチャラティはこちらを覗き込む。いきなり何その顔って一瞬思ったけど、……そうされてから、わたしは今ベッドの上に転がされていて、さっき傷を縫われたばっかり、痛み止めを入れてもらったばっかりということをようやく思い出す。脳がショックでどこかその事実を吹き飛ばしていたのかもしれない。テンションが高くなってうわ言みたいな言葉しか出ないのもアドレナリンが止まらないせいだろう。
多分瞳孔も開いてんのか、なんだかいつもより世界が眩しい。それに彼に飛んでる赤い飛沫は彼の血じゃなくわたしの血っぽい、なーんだ、よかった! 安心したらまた口がまわる。
「……でさ、暖炉はさ……その前にいたら言葉も何もいらない、見つめてるだけを許してくれるってのが、子供の頃のわたしにはすごく重要で。温めてくれて、きれいでやさしい、わたしだけの炎――」
「……だから、言うこと聞けねえのかお前は!」
「ブチャラティといるとね、その暖炉の前にいたときの事を思い出すんだ」
「……っ」
もう一回わたしを叱ろうとして大きく開いたブチャラティの口が、きゅっと閉じられる。はっきりとわかってる、わたしは今、彼の目の前で傷ついた人間としてブチャラティの弱みを握ってるってこと。ブチャラティは何にも悪くないのに。
ブチャラティは叱る代わりに、静かに囁くように言った。
「……わかったから、……頼むからもう寝ろ。……しばらくそばにいてやるから」
「ねえマンマ、おやすみのキスは?」
ふざけてんじゃねえいいから寝ろ、そう言われると思って言ったわたしを、ブチャラティは険しく眉を寄せた顔で見返すと、一瞬更に眉間にシワを深く刻んでから、わたしにそっと顔を近づけた。
わたしの視界がブチャラティで埋まる、……近い、ねえ近いって、
「え」
それから額に、一瞬冷たく柔らかい感触。ねえブチャラティ、いまの、ねえねえ、テンパった声はいくらでも出るのに、一回寝ないともう返事はしねえとブチャラティはそばにいるのにそっぽ向いてしまった。寝れるわけがないけれど、むしろこんなことなら睡眠薬でもぶちこんでほしいくらいだけど、わたしはなんとか眠れるよう必死に目を閉じる。
それでも、すぐ近くにブチャラティの気配があって寝れるはずがない。……わたしは、目を閉じたままそっと彼の名前を呼ぶ。
「……ブチャラティ」
「…………」
「……これ寝言だからね、寝てるから返事しないでいいんだけどさ、あのさ、……暖炉みたいって言ったの、もし嫌な気持ちになってたらごめんね。変なたとえしちゃって、……でも、それぐらいね、ブチャラティの前にいたら嬉しい気持ちになるってことが言いたくて、だから……」
少し笑いが混じった息が吐き出される音を聞く。今度は額に、あたたかな手のひらがのせられるのを感じた。
「……嫌じゃあねえよ、光栄だ」
ブチャラティの手は、何度かわたしの額を撫でて髪を整える。言いつけ通り目を閉じたままでその手のひらの温かさを感じる。その温度も、わずかな重さも、凄く嬉しくて仕方ない。その温度を味わっているうちに少しずつ訪れた眠気に、意識はゆっくりと遠のいていった。
「……おやすみ」
遠くでかすかに、ブチャラティの声が聞こえた気がした。
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jo夢ワンドロワンライさんにお題「暖炉」で参加作品を改稿