はじまりはすべて闇

「いやいやいやさすがにそれは!ナシ!ブチャラティ!」
「そんなこと言ってる場合じゃあねえだろ! いいからこい!」
「いやだ! やめっ……あ……!」
はじめてあんなに強く、ブチャラティに手を掴まれた。出会った時はただの一緒に仕事をしてる仲間ってだけだったし、その時には彼に対して男だとか女だとかそんな違いなんてのは感じたことがなかった。ブチャラティはそう感じさせないことができる人間だった。
恋人みたいなことをするようになってからも、少しも強引なことをしなかったし。ギャングなんて生き方してたら乱暴にされるほうが当たり前だったから、彼のやり方はいつだって私をひどく照れさせた。
だけど、いつもみたいな紳士の顔もかなぐり捨てて私の手を掴めば、こっちの指先が軽く痺れるくらいに力が強いのだという当たり前のことを知る。そしてこちらの手がすっぽりと包まれてしまうくらい彼の手のひらが大きいのだということも。

そして私は今、そうやって力づくで引き込まれた結果ブチャラティの〝中〟におさまっている。

(うわ、暗い……)

スティッキィ・フィンガーズで彼の体に開かれた空間。そこは、一切の光がない暗闇だった。振動も音もなく、ただ黒い空間が広がっている。そして寒くも暑くもない、きっとこれはわたしの体温とぴったり同じ温度なんだろう。だが真っ暗闇とその体温と同じ温度が合わさった結果、だんだんとどこまでが自分なのか分からなくなってくる。空間の果てが物凄く遠いようにも感じるし、自分からぴったり数ミリ分の隙間しかないようなめちゃくちゃに狭い場所に押し込められているようにも感じる。……閉所恐怖症なわけじゃないがその狭さを想像したら急に恐ろしくなってきて、目を閉じて深呼吸を繰り返す。大丈夫だ、大丈夫……。かわりに、さっきひねった足首の痛みに意識を集中させる。クソ、いろいろあったせいでびっくりして一瞬忘れてただけでバッチリ痛い。

政治家がホテルを貸し切って行うパーティに潜入する、なんて仕事の話にスパイ映画みたいとはしゃいでいた数時間前が嘘みたいだ。スパイみたいなことするのはいいけどドレスを着て客として入るなんて嫌、だってスカートにヒールにフルメイクだなんて!せめて給仕係に紛れたいと言ったけれどその方が根回しする人数が増えて手間だと言われて仕方なく『スカートにヒールにフルメイク』で任務にあたることになったのだ。
そして案の定、ヒールで戦い、ヒールで逃げる羽目になって足を痛めたのだ。だからいやだって言ったのに!
そもそもヒールの成り立ちなんてものがきっと動きやすさを全部殺して、とにかく女が逃げられないように履かせたものなんじゃないの? 腹が立つ! そう言ったらタンゴのダンサーはヒールで踊ってるぜ、なんてブチャラティに言われたからこっちは何も言えなくなってしまった。タンゴなんて踊れるもんか。

追手が近づいてきたとき、顔を見られず逃げ切るか、全員ばれないように始末していくか――二つに一つだった。
もちろん逃げ切ったほうが良いに決まっている。そうなるとうまく走れない私の存在はただ邪魔なだけで、ブチャラティは無理やり私を自分の中の空間に放り込んだのだ。

(……それにしても……なんっにも聞こえないし見えやしない……)
無事に逃げ切れたんだろうか、それとも追いつかれて戦闘でもしてるんだろうか?
でも、今の私がどんなに機動力が落ちるとはいえさすがに戦闘になったら火力が必要になってくるだろうから、心配しなくてもそのうち引っ張り出されるだろう。

……本当に、ここにはなんにもない。ブチャラティの中には彼が自分の中に放りこんだものが、本人が覚えているものも忘れてるものも宇宙空間みたいにデブリとして大量に漂っているのかと思っていたけれど、とにかく何もない。もちろん彼の内臓だとかそんなものも。

「……」

囚人を懲罰で真っ暗闇の部屋に入れておくと一日二日でどんなゴロツキだっておかしくなると聞いた。……なかなか説得力がある話だ。これ以上そんなこと考えないように、再び足首に意識をやる。まだまだ痛むが、暗闇のこの空間ではその感覚に助けられていた。私の体はそこにあるのだと理解できるから。

――ブチャラティは、自分の体の中に文字通りこんな『穴』を抱えているのか。ふとそれに思い至ると、なぜか胸がきゅっと苦しくなる気がした。
ものを切り裂いたりドアを破らずに忍び込んだり、そういう能力だと思っていた。ものの中にも入れるっていうことは知ってはいたけれど、実際その能力を借りて入りこんだことは初めてだったし、ましてや彼自身の体の中だなんて。――そしてここでは、彼に触れることはできないのだ。
今の私の存在は「彼と一緒になっている」はずなのに、この空間はきっと世界で一番彼と遠い場所だった。それが、狭い空間に閉じ込められたとかそういうことよりも何より怖いことだと気づいてしまった。
……ああ、なんだか今すぐブチャラティを抱きしめたくなってきた。そんなことを思いながら暗闇で手を伸ばしてみる。何も触れられないし、何にも届かない。
スタンドは、その人の心が反映されていると聞いたことがある。そうしたら、モノや空間にジッパーをつけるっていうのはどういうことなのだろう。強制的に開口部をつける能力――すべてのものの隠された真実を暴こうとしているとでもいうのだろうか。……彼らしいといえば彼らしい。だけど、それで開いたブチャラティ自身の内側が、星も全部死んだあとの宇宙のようだということはひどく寂しい。

大きなお世話だとわかっているけれど、こんな『穴』を抱えた男のことを考えてたらなんだか泣けてきた。ブチャラティの中でブチャラティを恋しく思っている。やっぱり暗闇では一日二日と言わず、すぐにだって感情が簡単におかしくなるんだと思う。思わずこぼれた涙は、ここではどこに流れていくのだろう。私から離れたらただ消えていくんだろうか。

どこまでも暗い気持ちに落ちていきそうになっていたら、暗い空間の中に不意に光る線が走る。それは聞き覚えのあるジッパーの音をたてながら大きな光の裂け目にかわっていった。ひどくまぶしいけれど、その光が私の心を現実に引き戻した。

光の先に腕をのばすと、冷たい石畳に触れた。地面の方向を頼りになんとか這い出てからブチャラティの方を振り返る。
「な……」
彼の姿を見て、思わず絶句する。
「おいおいおいおい……ブチャラティあんた何で私を外に出さなかったんだよ!!!」
そもそも自分が石畳に這い出た時点でおかしかったのだ。彼は――路地裏で建物の壁を背にして地面に座り込んでいた。呼吸は荒く、肩で息をしている。目の上が切れてひどい色になっていた。服にも返り血なのか本人のなのか分からない赤が飛び散っていて、せめてくちびるを切っただけであってほしいところだが口元からも血がこぼれていた。
逃げ切ったわけじゃあない。ひとりで相手を撃退したのだ。追ってくる足音は確実に複数聞こえてたっていうのに!
それなのにブチャラティは大したことないとでも言いたげに、小さくため息をついてから少し笑って言った。
「あぁ……まあ、どうにかなっただろ?」
こんなボロボロになってるくせに! あまりにもわかりやすすぎるやり方でこちらをかばうのに、足が痛むってことなんて気にせず頼ってほしかったのにという彼に対するわずかなイラつきが浮かぶ。
そしてわずかな怒りを覚えながらも、少し疲れが見える目元に、唇から線になってこぼれる血に、ブチャラティの中を漂っていたときの彼が恋しいという感情がないまぜになってしまって、自分が興奮していることにも気づいていた。
頼ってくれなかったブチャラティへの落胆、そして何より役に立てなかった自分への怒り、孤独な穴の中で感じた彼が恋しい気持ちと、ああ少しダメージを負った彼ってセクシーだなって興奮。
すべてがぐちゃぐちゃになった感情の発露として、私は眉を吊り上げながら笑顔を作って、地面に座り込んで動けない彼の顔を両手でつかむと思い切り口づけた。
「!」
口いっぱいに血の味を感じるのはいつぶりだろうか。出血している元を探すように口内を舌でなでるけれど、ブチャラティは案の定、すぐに逃げ出すように頭を反らした。
「ッ……おい! やめろ! 血ぃ出てんだぞ……お前が……! なんかの病気にでもなったらどうすんだ!」
「……ならない」
痛いからでも、今このタイミングでそんなことするな、でもなく、彼は私が自分の血で何か影響があったらどうすると怒るのだ。これだからブローノ・ブチャラティってやつは!
自分の口に残った彼の血の味を反芻してからつぶやく。
「血の味ってのは、ブチャラティのでもおんなじなんだ」
「違うわけねえだろ……」
深くため息を吐いたブチャラティに一度ハグしてから、わたしは座り込んだままの彼に手を差し伸べた。

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