3.ゲームをする

片方の手のひらを顎に寄せて目の前のゲームの盤面をじっと見つめるブチャラティを、私は彼と同じように盤面を見つめているふりで、その美しい顔の方をこっそり見つめている。

私たちの間にあるのは、四つずつの小さな丸が正方形のかたちに並んだゲームボードだ。同じ色や同じ形のコマを、その上に四つ並べた方が勝ち、ただし、自分の置くコマは自分で選べず、相手に手渡されたコマを並べる必要がある——シンプルでわかりやすいルールだし、コマや盤そのものがインテリアのようで美しいのも気に入っていた。
わたしたちはお互いの部屋を行き来する仲だけど、……食事を共にしてこうしてゲームを共にしてあとは好きに過ごす、それだけだった。お互いに性別を意識せずに友人として過ごせるのが気楽で、そして……わたしが抱えてしまった彼に対する感情にとっては何よりも大きな壁となった。

それでも、彼とこうして頭を使うゲームをするのは楽しい。お互い全力を尽くそうとするから、あっという間に勝敗が決することもあれば、いつまでも終えられず盤面がつやつやした木のコマでうまっていくばかりの時もあった。結果としてはだいたい私が悔しがるハメになることが多かったけれど、ときたま彼が気づいていなかった攻め方で勝つことができるとすごく嬉しいし、負けたはずの彼もまた、まるで師匠ぶって嬉しそうにするのだ。わたしはそんな態度を取られるたび負け惜しみだ!と叫ぶけれど、そう言い切るには、その時のブチャラティはあまりにも素直に嬉しそうなのだ。

そして何より、ゲーム中に考え込んでいるときの彼の真剣な表情が、私はとても好きだった。
きゅっと寄せられた眉、盤面を隅々まで見つめる瞳の慎重な動き、深い青の瞳をふちどる長いまつげと、それが彼の顔にかける影。
どこもかしこもがあまりにも綺麗だから、まるで美術品のようだと思う。……でも、それが神様なんかの贈り物だとは絶対に言わない。これはブチャラティが誰よりも愛している彼の両親から彼への贈り物で、そしてその表情を作り出しているのは、彼自身の経験だ。これを生み出した芸術家がいるとしたら、それは彼自身なのだ。
わたしはブチャラティの人生そのものによって生み出された美しいものを、幸運にもこうして分け与えてもらえている。

そんなことを思いながら、……彼の思考を邪魔しないように、そんな建前でもって、私は息をひそめじっと考え込む彼の顔を見つめている。

すると、私の思考を読み取ったかのようにブチャラティはふと顔をあげて、私を見つめ返す。
そんなにまっすぐ見つめられると思っていなくて、突然視線で射抜かれて息が止まった。

「……そんなに見られてたら、穴があくんじゃないかと心配になるな」
そう言ってにやっと笑いながら、彼は思考中にずっと指で撫でていたコマをそっと盤上に置いた。(その指の腹でなめらかで小さな木のコマを丁寧になでる仕草も、……わたしは好きだった)それから、また少し考え込むように固まってから彼が次に私に置かせたいらしい四角い木のコマを手渡す。

「見てるの気づいてたの?」
「……半分はハッタリだったが、当たったんだな」
そう言ってまた笑う彼はずるい、……完璧にバレないように彼の顔を盗み見しているつもりだったから、まだ心臓がばくばくうるさく鳴って落ち着かない。これはもしかしたら彼の作戦だろうか? ……だとしたら、効果はばっちりだ。
ろくに考えこむこともできないまま、私はブチャラティから手渡されたコマを空いたマスにそっと置いた。

その瞬間、片肘をついていたゲーム盤を見つめていた彼が、思わせぶりにちらりとわたしを見た。

「……えっ、ここ……ヤバイかな?」
「…………どうかな? まあ、それが君の選択ならオレは受け入れるまでだ」

そんな態度とられれば追い詰められていることだけはわかる。内心やけくそになりながらわたしは残ったコマをにらみつけてどれを渡してやろうか、どうか彼に不利になりますようにと、考えるよりかはむしろ祈るような気持ちでコマをつまみ上げる。

「……手を出して」
「?」

彼は少し不思議そうにしながらも当たり前のようにわたしに手のひらを差し出す。骨張っていて、かたい皮ふをまとった美しい手のひらを取って、彼に見えないようにコマをその手に置いてから彼の手ごと両手で包み込む。
ずるいことしているなと思うのは、……彼から考える時間を奪おうとしているのと、そんなことにかこつけて彼の手、大好きなその手に触れているからだ。

「何してるんだ? コマを置かせないようにしてんのか? それとも……」
「いま、ブチャラティが勝てないように呪いをこめてるの」
「……呪いだって? ああ、なんてこった、君に手を握られてときめいたオレのこころを弄ぶのか? ひどいひとだ!」

普段なら絶対にしない、イタリア人らしい芝居がかった口調で大袈裟に彼は嘆く。……あなたはわたしがそんな事をしたってときめいたりなんかしないでしょう、そう言いたかったけど、そんなことを口にして傷つくのは自分自身だとわかっているから黙っていた。
彼の振る舞いはもう勝ちが見えている人の余裕にしか見えなくて、わたしも大袈裟に、マンガみたいに顔を歪めて見せてから、音を立ててその骨張った手の甲に改めて呪いのキスを落としてからパッと手を離す。

ようやく自由になった自分の手のひらを覗きこんで、手渡されたコマを見つめる彼をじいっと見つめる。……また、思わせぶりな目配せをこちらにしてから、彼は言った。

「クアルト!」
「え、どこ!?」

このゲームのチェックメイトを宣言されて、慌てて盤面をのぞき込む。少し得意げに、ブチャラティは同じ仲間が4つ並んだ列を指差して見せた。
……このゲームで負ける時、それはかならず自分が渡したコマで負けることを意味するのだ。彼に見えていたその筋はまさしく私がさっきやけっぱちで置いたコマから広がる道で、まさしく自滅としか言いようがない。

「くう……」

わかってる、わたしばっかり彼を見つめてしまうから、いつまで経ってもなかなか勝てないなんてことを。それでもいつだって負けると心から悔しいし、ブチャラティはすごくうれしそうに笑う。……少しだけ子供に戻ったみたいな笑顔をするから、負けてもまあこれが見られたなら、みたいな気持ちになってしまうのも、いつものことだ。

もう一戦、そう言おうとする前に、手のひらで口元を覆った彼がそっと、こちらを見ないままにささやく。

「……なあ、……必要以上に警戒する必要がないと感じてくれてるのはうれしいが、……今度から考えたほうがいい。あんまり近づいてくれると、勘違いするやつもいるさ」

一瞬、何を言われてるのか分からなくて固まる。……だってそれじゃあまるで、あなたも、「そう」みたいな言い方じゃないか、

「……それ、」
「……すまない、おかしなこと言ったな」
言いながら、彼はやっぱりこちらを見ないままコマを片付け始める。負けた悔しさも吹き飛んだわたしは咄嗟に、コマをつまんだ彼の手を両手で捕まえる。彼はようやく、驚いたようにこちらを見返した。

だって何も勘違いじゃあない、だって、

「……ブチャラティこそ……そんな言い方すると、わたし勘違い、するよ」
これは脅しだな、そんなことをどこか冷静に思いながらささやく。それでも彼の手を握った手のひらはどんどん熱くなって、さっきまで冷えていたはずのブチャラティの手まであたたかくなってくるのを感じながら彼の目を見つめている、そこにあるのは戸惑いじゃなくて、覚悟と熱、だ。そしてああ、いま彼と私は多分同じことを考えている、……私たちを隔てるテーブルがすごく邪魔だな、と。