「……あれ、ブチャラティさん……香水、変えたんですか?」
はじめて彼女と一夜をともにした日の朝、オレが隣に眠ったままの彼女を起こさないようにベッドを抜け出し、シャワーを浴び、髪を編み、服を着込んですっかり仕事に向かう準備を整えたところでようやく起きて来た彼女が、不思議そうに呟いた。朝の挨拶なんかよりも先に言われた、予想もしてなかった内容のその言葉を受けとめ損ねて、香水?そう鸚鵡返しをするしかない。
「香水、です」そう返してくる彼女の手に握られているのはりんごだ。オレは苦手な果物だが、町の人々、……特に心優しい老婦人方に手渡されてしまえば断ることなんてできない。いつのまにか、そういう風に善意で集まって来たりんごは、彼女が食べるものとして定着していた。
片手にりんごをつかんだままどんどん近づいてきて、彼女はくん、と鼻を空中でならす。
「なんていうか……森? みたいな……? 植物みたい、に、思うんですが……。木の中に取り込まれたらこんなにおいがしそうだなって、……私はこれも好きです! いつもの香りも、なんていうか、セクシーな花、って感じで好きですけど」
まったく香りを褒める言葉には聞こえない言葉が連なって、思わず苦笑する。
「そりゃ……いま香水をつけたばかりだからな。香水は時間経過や、体臭と混じってかわっていくもんだろ」
「そうか! そうですよね……」
ほんの一瞬、考えこむように眉を寄せたかと思えば、彼女は嬉しそうに目を細めて言った。
「……じゃあ、これは……特権、ですね。この香りのブチャラティさんに会えるのは」
言いながら、彼女はさらに一歩オレに近づくと、伸び上がってオレの首筋のあたりに顔を寄せて、深く息を吸い込む。
いいにおいです、そう呟かれるのを聞いてしまえば、勝手に手が伸びるは仕方がないことだろう。寝起きのまだ頭が働きはじめているかもあやしい彼女の顔を両手でつかんで、そのままキスを落とす。ぼんやりと開きかけた下唇をかるく食んでから、そっと離れる。
これ以上深くしたらきっと、出かけられなくなるのはわかっていた。未練をなんとか断ち切るように、自分に言い聞かせるように言う。
「……行ってくる」
「あ、……はい、あの……! 行ってらっしゃい……」